10月26日(土)は、スロウな本屋でえほん哲学カフェでした。
今回の題材は、なんとも不思議な雰囲気を醸し出す、『夜の絵』。
夜しか絵を描かない不思議な絵描きのお話です。
自らの命と、とうてい描ききれないと思える絵を描くことを引き換えにしたある画家の「幸福」な人生ーー。村山亜土の純粋な言葉の世界を表すのに柚木沙弥郎が選択したのは、型染めでも絵でもなく、布コラージュだった。それも愛蔵の端切れを用いて。柚木作品の中で最も重要な作品でありながら私家本として刊行されたため、幻の名作となっていた本書を、限定復刊。(『夜の絵』、帯より)
以下、ネタバレご容赦ください。
特に参加者のみなさんの関心が集まったのは、なかなか気に入った「夜の絵」を描くことができなかった絵描きが「わしの描こうと思っていたのは、これなんだ」と叫んだそのとき、一体何が起こったのか?という疑問。
「全宇宙に通じるような真理をつかんだ」という方、
「コップに映った空という自分の外にあるものに触れることによって、自分のこだわりから解放された」という方、
逆に「コップのなかに発見したのは、自分の中にあるイメージではないか」という方も‥‥‥。
最初のうち、それぞれ全く別の捉え方のように感じて聞いていたのですが、
それぞれの捉え方を掘り下げたり相違点を確認していくなかで、
「どの捉え方も、根底では繋がっている気がする」という声が出て、
どこがどう繋がるんだろうと考えてみる。
それから、そのやりとりのなかで出てきた、この絵描きはどんな人なんだろうという話も、おもしろかった!
いろんなものを描き尽くして、最後に残ったモチーフが夜だったんじゃないかという説。
夜は「死」の象徴であり、絵描きにとって夜を描くということは、死に向き合う作業だったのではという説。
それから、もともとこの絵描きはずーっと夜ばかりを描いてきたんじゃないか、夜というモチーフが彼のライフワークだったという説。
他にも、この表紙について、
なぜこの絵(コラージュ)が表紙に選ばれたのか?
絵描きの顔にも見えるしコップにも見えるのはなぜ?
と考えてみたり、
なぜ作者は、絵描きに「夜の絵」を完成させなかったのか?
なぜ「これなんだ」となったところで終わる意味はなにか?
と考えてみたり。
いつもは言葉少なめの方が、たくさん話したのも、この絵本の不思議な魅力のせいかしら。
スロウな本屋の店長さんのバイブルでもあるという一冊。
貴重な限定復刻らしいので、本屋さんに並んでいるうちに手にとっていただければ。
スロウな本屋さんのオンラインショップでもご購入いただけます。