本日はスロウな本屋さん主催のえほん哲学カフェ。
最初は4月にお店で開催する予定だったんですが、新型コロナウィルスの影響で、この時期にオンラインでの開催となりました。
テーマについて話し合う哲学カフェよりも、一緒に絵本を覗き込んだり、じんわり言葉に耳を傾けたりという一体感がオンラインでどこまで実現できるのか自信がなかったのですが、思った以上にできるもんですね。
ひとりひとりの小さな驚きや気づきが接木されたり絡まったりしながら、大きな発見につながる、そんな時間でした。
そして、改めて、絵本の奥深さというものを思い知りました。
以下、ネタバレご注意ください。
今回の絵本は『かみさまはいる いない?』。
これまで私が思想史で学んできた神に関するあらゆる思想が、ものすごくシンプルな言葉で網羅されており、それだけでも驚きの一冊なのですが、
- この絵本に「かみさま」は描かれているのか?
- 言葉と絵のつながりは?
- 各ページのつながりは?
- 絵に糸やスパンコール、綿など、いろんな素材が使われている意味は?
- なぜ途中から疑問系なのか?
- なぜ人間は「かみさま」のかわりに語ったり描いたりするのか?
- 「かみさまなんていなくていいとおもってるひと」たちは、「かみさまのかわり」になにをつくるのか?
- 「もうなにもしていない」でも、かみさまがいる意味はある?
- 人間たちは何に「こまっている」のか?
などなど参加者のみなさんと話すうちに、いくつもの読み方、それも3通りとかじゃなく少なくとも10通りはあろうかという読み方が出てきました。
そして、ひとりひとりの小さな気づきや疑問が、ときに接木され、ときに絡まりながら、大きな発見や驚きにつながっていく。
みなさんの対話から万華鏡のように新たな読み方が紡がれていくような時間でした。
参加者には、岡山のお馴染みさんだけでなく、広島、京都、愛知など様々な地域から参加者からそして「昨日まで避難してて今日帰ってきました」という熊本在住の方も!
かみさまに祈ったり、「かみさまなんていないんじゃないか」なんて疑ったりしたくなる日々のなかで、この絵本をみなさんと読めてよかった。
その不思議な巡り合わせについても、「もしかして、かみさま?」と思ったり思わなかったり‥‥‥。
ご参加くださったみなさん、スロウな本屋さん、素敵な時間をありがとうございました。