哲学カウンセリングについて調べていたら、こんな言葉にバッタリ出会いました。
病気は人を哲学者にする。 (納利一「哲学内科の哲学コーナー」より)
納利一さんは、内科医の方らしい。
「哲学して健康への道をひらこう」という言葉にはすぐうなづけなかったけれど(「健康」の意味によるなぁ、とか、健康=良いものなのか?、とか考えちゃう)、「病気は人を哲学者にする」には、自分の闘病経験から素直にうなづいてしまいました。
なんでだろう?
それまで当たり前だったことが、当たり前じゃなくなるからかな。
たとえば、がん。
2人に1人がかかると言われているけど、どんなに大多数の人がかかる病気であっても、それまでの暮らしを当たり前じゃなくしてしまう。
正解がない。けど、だからこそ、自分なりの答えを出す必要に迫られる。
だからかなぁ。
がんと向き合う人に、哲学が求められるのは。
他の人にとってよかった治療が、自分にとってもよいとは限らない。
家族にとって最良と思える選択が、本人にとって最良とは限らない。
それでも、一緒に考える人がいることが、病いと向き合う人の力になる。
そうなればいい。
そんなことを想う、遺族のためのがんカフェの朝です。