1月24日(水)は、フリーデザイン岡山での哲学カフェでした。
フリーデザインは、生きづらさを抱える方たちの「働く」を応援する就労移行支援センター。
月1回の哲学カフェは、利用者、スタッフだけでなく、どなたでもご参加いただけます。
雪のちらつく平日昼間にもかかわらず、14名もの方にご参加いただきました。
テーマは、「正常ってなに?」。
開始早々、矢継ぎ早に発言が飛び出しました。
うれしい反面、早すぎると一人一人の話にきちんと耳を傾けるのが難しい‥‥‥。
ブレーキをかけながら自転車を漕ぐような気分で進行しました。
- 「正常」は「異常」の反対?
- 多数派=正常?なぜそう思ってしまうの?
- なにを「正常」と思うかは、価値観や環境によって異なる?
- 「正常」は「正しい」か?
- 絶対に正しいことは存在する?
- 人に対して「正常」だとか「異常」だとか言っていいの?
- normal/abnormalとorder/disorderのちがいは?
最初にわっと出た論点を、その後も具体例を交えて行きつ戻りつしながら、徐々に論点が絞られ、思考が深まってゆく展開。
たくさんの切り口のなかで、一つ共有できたかなと思うのが「人に対して正常だとか異常だとか言ってもよいか?」という問いです。
これに対して、「機械などの機能に対する評価であって、人に対して用いるのはちがうのでは」「ある行いが不適切だというだけで、『あいつは異常だ』というのは盛りすぎ」などの声。
にも関わらず、ある人のごく一部の行いをみて「あいつは異常だ」と言う人がいるのは、なぜ?
「自分は正常だ」と思い込みたいがための過剰防衛ではないか、という指摘が印象に残りました。
また、様々な「正常」や「正しさ」を測る基準が存在するなかで、何が正しいかをどうやって判断すればよいのか、という問いも深く刺さりました。
「みんなが幸せになるのが正しいこと」
「生産性や創造性のある行為はよいと思う」
参加者のみなさんが「みんなの幸せ」や「生産性」を語る、その視野の広さに感動する一方で、自分自身の体験から、同じテーゼが「みんなの迷惑になるから、やめろ」「生産性が下がるから、おまえはくるな」と、不寛容さを招く恐れもあるなぁ、と。
その危険性を補足して、この日の哲学カフェを終えました。
マイノリティの問題について考えてきた私にとって、原点を思い起こさせてくれるような時間でした。
参加者のみなさんにも、「寒いなか、参加した甲斐があったなぁ」と思っていただけたなら幸いです。
「人を正常/異常と区分するようになったのは、監獄ができてからじゃないか」とご発言してくださった方に、既読かもしれませんが、この一冊をオススメしておきます。
ただし、読んで楽しくなるような本ではありません。どちらかというと暗い気分になる本ですが、このテーマについて考えるにはぴったりの本です。
- 作者: ミシェル・フーコー,Michel Foucault,田村俶
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1977/09/01
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 124回
- この商品を含むブログ (230件) を見る
もうちょい、読みやすいものをという方は、こちらをどうぞ。
- 作者: ミシェルフーコー,小林康夫,松浦寿輝,石田英敬,Michel Foucault
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2006/08/01
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 19回
- この商品を含むブログ (43件) を見る