てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

スロウな本屋さんで/と

今日は、大元公民館のモヤニコカフェのあと、カフェで原稿を書きあげて、スロウな本屋さんへ。

 

店長の小倉さんが、とってもうれしそうに教えてくれた本。

みんなたいぽ|オンラインショップ|スロウな本屋

 

パンをぬすんだ。ひとをぶんなぐった。ひどいことばで傷つけた。「ろうやで はんせいしなさい」 そう言い放つおまわりさんに、みんなが語ったのは? みんなをたいほした先に、待っていたのは…?(作品紹介より)

 

なんじゃこりゃ!最高!!!

荒井良二さんの作品は前から大好きだけど、文のマヒトゥ・ザ・ピーポーさんのことは初めて知りました。いきなり気になる人ランキング上位にランクインだ。

これは、いつか絶対、えほん哲学カフェをしたい。

ナンセンスなようでいて、なんか考えさせられちゃう。そんな一冊。

 

 

そして、もう一冊。

ナンティー・ソロ 子どもたちを鳥にかえたひと|オンラインショップ|スロウな本屋

 

町に女がやってきました。名前はナンティー・ソロ。自分は子どもたちを鳥にかえられると言いました。大人たちは、子どもたちを守ろうと大騒ぎ。ところが……!? (作品紹介より)

 

こちらは、小倉さんに教えてもらわなかったら、手に取らなかったと思う。

「子どもたちを鳥にかえたひと」なんて、子ども向けのファンタジーかなと思って通り過ぎてしまう。他にも気になる絵本は山ほどあるんだから。

けど、読み始めてみたら、むしろ大人と語り合いたくなるような一冊でした。

いや、もちろん子どもたちと読んだっていいんだけど、あれこれ経験してきた大人たちに、これを読んで思い出したことや、「あなたが、ナンティー・ソロだと思う人」をきいてみたい。

ちなみに私のなかのナンティー・ソロは、私を、失敗を恐れる気持ちから解放してくれたヴィクトリア・チュルネンコさんというロシア人哲学者です。

 

 

4月1日までスロウな本屋さんとのイベントがあれこれ決まっているので、上記の絵本での企画はもう少し先かな。

 

slowbooks.jp

 

slowbooks.jp

 

slowbooks.jp

 

棚に並んでいる本の数はそれほど多くないはずなのに、ひとりで大型書店に行っても出会えなさそうな本との出会いが、たくさんある。そんな本屋さんなのです。

 

slowbooks.jp

思考の交差点を探そう!@フリーデザイン岡山

昨日はフリーデザイン岡山で哲学カフェ!

‥‥‥の予定だったのですが、参加者が3名と少なかったので*1、急遽、少人数でしかできない対話ワークをしてみることに。

私が開発した、思考の交差点ワークをしました。

 

お題は、こちらの本より‥‥‥

 

‥‥‥「牢屋のなかでも自由でいられる?」

 

「」「」などのなかから自分の考えに一番近い答えを選んでもらい、お互いの考えの共通点と相違点を探っていくワーク。

そのプロセスで、少しずつ相手の考えの奥にある前提や個性が明らかになって、相手の考えにびっくりしたり、自分の考えが他の人とちがうと知ってびっくりしたり。

 

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私は何度も経験しているワークですが、

  • 「社会は人間の作り出した幻想」派と「社会はリアルな人の集まり」派
  • 自由かどうかと実現できるかどうか、どっちが大事?

など「このワークで、そういう考えもきけるのか!」という新しい発見も。

何度やってもおもしろいなぁ。いいワークだ!(自画自賛*2

 

いつものような10人ほどでさまざま向からテーマについて語る哲学カフェもいいけれど、たまにはこうして数人でじっくり考えを聴き合うワークも、いいなぁ。

 

一緒に参加したスタッフの方が、「スタッフでもやりたい」とおっしゃってくださったように、人と関わるお仕事の方のスタッフ研修にもぴったりだと思います。(営業?)

 

 

そして、いいかげん、このワークのやり方をちゃんとどこかに発表すべきだとも思いました。(大反省)

 

*1:就労移行支援センターなので、職場見学や面接なんかと重なったりすると、そういう日もあります。

*2:もちろん、オスカルの絵本の力も大きい。

「口出しされたくないのは、どんなとき?」@大元公民館

1月23日(月)は大元公民館で子育てモヤッとニコッとカフェでした。

いつも自転車かバスで行くのですが、お天気の影響かバスが遅れていて、岡山駅からタクシーに乗って参りました。

進行役はその場にいるのが一番のお仕事なので、間に合ってよかった〜。

 

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テーマは「口出しされたくないのはどんなとき?」。

 

テーマの元になったのは、「ゆったりしたワンピースを着ているときに『3人目?おめでとう!』と言われちゃった(おめでたじゃないのに)」というモヤモヤ。

そこから「なぜ他人の人生に口出しをするのか?」という疑問が出てきたのがですが、そのときはみなさん「口出しをされてモヤモヤする」側からモヤモヤしていて、「自分も口出ししちゃう」という声は出ず。

「なぜ口出しをするのか?」に自分たち答えられるかどうかわからなかったので、「されたくない」側の視点からの問いにつくりかえました。

が、日を改めてこのテーマについて話し始めてみると、前回お休みされていた方から「私は実際に口出しされた経験はそんなになくて、子どもに口出ししちゃうほうかも」という声もあり。それをきっかけに、される側、しちゃう側、両方から「口出し」について考えられたのがよかったです。

 

ポイントをざっくり挙げると‥‥‥

  • 「よい口出し」もあるのか? それとも、全ての「口出し」は悪なのか?
  • 「口出し」とはなにか?
  • 「口出し」とアドバイス、苦情、口添えは重なる? 重ならない?
  • 実際には口出しされてなくても、他人の目を気にしてる?
  • 口出しに言い返す? 言い返さない?

 

おそらく、「口出しされて戸惑ったり不快な思いをすることもあるけれど、だからといって口出しを一切しちゃいけないということになったら、コミュニケーションなんてできなくなるのでは?」という問いかけが契機になったかと思うのですが、終盤は口出しの是非ではなく、口出しされた場合の対応が話題に。

よかれと思って、でもこちらの事情や考えを知らずにされた口出しに対して、どう反応すればよいか?その口出しが不快だということを伝えてもよいか?相手と気まずくなったら?という点について。

いろんな事情や考え方があるということを相手に知ってもらったほうが、次なる被害者が出るのを避けることができる、それは社会貢献なんだ!というところまで視点が広がりました。

 

そういえば、ショックで言い返せないこともあるけれど、言い返さないのが悪いというふうに言われたら辛いけど、そういえば、実際に言い返せた相手とのほうがその後も良好な関係が続いている気もする。

口出しはなくならないだろうけど(たぶん、自分もする)、口出しも悪いばかりではないかもしれな、と勇気や希望が湧いてくる対話でした。

 

あと単純に、「口出し」について考えるのが初めてで、おもしろかった!

 

ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。

 

次回のテーマは「「あやまる」と「ゆるす」の関係」です。

詳しい日時は、公民館だよりなどでご確認ください。