1月23日(月)は大元公民館で子育てモヤッとニコッとカフェでした。
いつも自転車かバスで行くのですが、お天気の影響かバスが遅れていて、岡山駅からタクシーに乗って参りました。
進行役はその場にいるのが一番のお仕事なので、間に合ってよかった〜。
テーマは「口出しされたくないのはどんなとき?」。
テーマの元になったのは、「ゆったりしたワンピースを着ているときに『3人目?おめでとう!』と言われちゃった(おめでたじゃないのに)」というモヤモヤ。
そこから「なぜ他人の人生に口出しをするのか?」という疑問が出てきたのがですが、そのときはみなさん「口出しをされてモヤモヤする」側からモヤモヤしていて、「自分も口出ししちゃう」という声は出ず。
「なぜ口出しをするのか?」に自分たち答えられるかどうかわからなかったので、「されたくない」側の視点からの問いにつくりかえました。
が、日を改めてこのテーマについて話し始めてみると、前回お休みされていた方から「私は実際に口出しされた経験はそんなになくて、子どもに口出ししちゃうほうかも」という声もあり。それをきっかけに、される側、しちゃう側、両方から「口出し」について考えられたのがよかったです。
ポイントをざっくり挙げると‥‥‥
- 「よい口出し」もあるのか? それとも、全ての「口出し」は悪なのか?
- 「口出し」とはなにか?
- 「口出し」とアドバイス、苦情、口添えは重なる? 重ならない?
- 実際には口出しされてなくても、他人の目を気にしてる?
- 口出しに言い返す? 言い返さない?
おそらく、「口出しされて戸惑ったり不快な思いをすることもあるけれど、だからといって口出しを一切しちゃいけないということになったら、コミュニケーションなんてできなくなるのでは?」という問いかけが契機になったかと思うのですが、終盤は口出しの是非ではなく、口出しされた場合の対応が話題に。
よかれと思って、でもこちらの事情や考えを知らずにされた口出しに対して、どう反応すればよいか?その口出しが不快だということを伝えてもよいか?相手と気まずくなったら?という点について。
いろんな事情や考え方があるということを相手に知ってもらったほうが、次なる被害者が出るのを避けることができる、それは社会貢献なんだ!というところまで視点が広がりました。
そういえば、ショックで言い返せないこともあるけれど、言い返さないのが悪いというふうに言われたら辛いけど、そういえば、実際に言い返せた相手とのほうがその後も良好な関係が続いている気もする。
口出しはなくならないだろうけど(たぶん、自分もする)、口出しも悪いばかりではないかもしれな、と勇気や希望が湧いてくる対話でした。
あと単純に、「口出し」について考えるのが初めてで、おもしろかった!
ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。
次回のテーマは「「あやまる」と「ゆるす」の関係」です。
詳しい日時は、公民館だよりなどでご確認ください。