てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

大元公民館「言いたいことを言うのは難しい?」

先週の木曜は大元公民館にて“子育てモヤッとニコッとカフェ”でした。

テーマは、2月に予定していたけれどコロナで流れてしまった「言いたいことを言うのは難しい?」。

 

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今回はちょっと特別に、レクチャー付きで。

以前よりスタッフの方より「より地域のみなさんが主体的に対話づくりをしていけるように、対話セミナーもしたい」とご提案をいただいたので、私が大元公民館での対話づくりの参考にしているハワイの子どもの哲学(p4c Hawaii)から、安心して話せる対話づくりのポイントについてお話させていただいたあと、

  1. よんでほしい名前とその理由は?
  2. 家族とどうやって話してる?
  3. 言いたいことを言うのが難しいのはどんなとき?

の3つの質問にひとりずつ答えてから、対話スタート。

2つめの「家族とどうやって話してる?」は、参加者の方が提案してくださいました。

 

はからずも、大元公民館の地域性と役割が大きく浮かび上がる回となりました。

大元公民館のある地域は、転勤族の方が多い地域。

夫の転勤でこの地にきた当初は、話し相手がいない状態で子どもと向き合う日々のなか、精神的にしんどい思いをする方も多いこと。

誰かと話すことによって、そうした精神的な負担が緩和されることもあること。

公民館やこの対話の時間が、ときに「いのちをつないでくれた」という言葉が出てくるほど、大きな救いになっていること。

 

私も岡山に越してきたときは、話し相手がおらず、近所でよく会う鳥に話しかけていたことを思い出しました。

 

仕事や進学のために引っ越してきたのなら、自分がそこにいる目的や意味を見出しやすい。

でも、家族の都合で引っ越してきた場合は「なぜ私はここにいるんだろう?」「私ってなんだろう?」なんて疑問がもたげてくる。

気を許せる人と離れコミュニケーションがない状態だと、自分がどんな人間なのかもわからなくなってしまう。

表面的なコミュニケーションだけじゃなく、相手の考えを聞いたり、自分の考えを話したり‥‥‥そういうコミュニケーションがないと存在そのものがあやうくなってしまうという点が、この日一番印象に残りました。

 

その他、家族とのコミュニケーションについてあれこれ話ながら、浮かび上がったポイント。

  • 本当に言いたいのか言いたくないのか、自分の気持ちが曖昧なことも
  • 言いたいから言うのか、言う必要があるのから言うのか、どっち?
  • 理解し合うには伝えることが大事だけど、相手を動かしたり状況を変えるには、言う以外の手段のほうが適切な場合もあるのでは?

 

これで、ようやく2〜3月のまん延防止の影響で流れてしまった企画を全て消化できました。やれやれ。

 

 

7月は、恒例のモヤモヤ回の予定。

子育てモヤモヤを出し合って、秋以降のテーマを一緒につくります。

昨年度まで参加してくださっていた方が何人かまた転勤で他所へ行って人数が減ってしまったので、新たに地域に越してきた方にも参加してもらえるとうれしいなぁ。

大元地区の方、近隣で子育てしている方のご参加、お待ちしております。

詳しい日時については、地域の公民館だより等をご覧ください。

 

哲学カフェ「正論はなぜ嫌われる?」

年に1回あるかどうかの、自主企画哲学カフェ。

ぽっかりスケジュールが空いたので、以前から気になっていたテーマを思い切って取り上げてみることにしました。

 

 

「正論言うな」なんて言うけれど、正論はなぜ嫌がられるのでしょう?
正しいからこそだとしたら、それはなぜ?
本当は正しくないからだとしたら、なぜそれを「正論」と呼ぶの?(イベントページの案内文より)

 

このテーマを哲学カフェのなかで扱うのは、哲学カフェでも正論を言っていいのかどうかみたいな迷いが生じそうで、メタ的な視点が必要なので迷ったのですが、やってみてだいぶスッキリしました。

 

まず、「正論は苦手」という方々の意見を聞けてよかった!

私は圧倒的に「正論言うな」と言われがちな方なので。

「相手の気持ちや言い方に配慮してほしい」という声に頷いたり、「『正論言うな』ってことは、あなたの言うことが正しいということは、相手も認めているのでは」という指摘になるほどと目から鱗が落ちたり。(「相手がこっちの気持ちに配慮してないのに、こっちだけ相手に配慮しろって求められるのはイヤだな〜」と思ったりもしたけれど。)

 

それから、私は自分で“正論”を言ってるつもりはなく単純に思ったことを言ったら相手に「正論言うな」って言われちゃったというタイプなのですが、自分で「正しいことを言おう」と思ってる人もいるっぽい?

前者と後者では、感じ方も違うかもしれません。

思ったことを言っただけなのに「正論言うな」と言われちゃうと、「思ったことを言うな」と言われた気がして、何も言えなくなっちゃう。それに私はモヤモヤしてるのだと気づきました。

 

こんなふうに、いろんな方向から「正論」について考えるなかで、私にとって一番大きな発見だったのは、どうも「正論言うな」という言葉は、現状を変えるような提案や考えを述べたときに言われやすいらしいということ(これは、自分の数少ない体験だけでは気づけなかった。いろんな体験談を聞けたから気づいたことだと思います)。

そして、正しさだけでは現状を変えることはできないらしいということです。

 

途中で、「正しいことを言うのが嫌がられるのか?正しさにも色々あるなかで特定の正しさだけを主張するから嫌がられるのか?」という疑問が浮かんだりもしたけれど、今回の対話でより強く感じたのは、“変われ”と言うのに近いことをしているから嫌がられるのではないか、ということでした。

 

現状を変えたかったら、誰かの気持ちを動かすような言い方をしなきゃいけない。

合理的な論説が誰かの気持ちを動かすこともあるかもしれないけれど、そうではないことも多い。

そんなところでしょうか。

 

全体としては、

  • 正論とはなにか?に関する議論
  • コミュニケーション(はどうあるべきか?)に関する議論

の2つを行きつ戻りつしなら考える時間でしたが、これがコミュニケーションの問題だというのことも、対話前ははっきり意識していなかったので、気づけてよかったなぁ。

 

 

他の誰かの関心に便乗しててつがくするのが好きな私ですが、たまには自分の関心も取り上げてみるもんだなぁ、と感じた対話でした。

 

ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。

戦争と平和を考える絵本

来月、「なぜ戦争をするのか?」という副題のついた絵本を題材に、えほん哲学カフェをするのですが‥‥‥

 

六にんの男たち なぜ戦争をするのか?|オンラインショップ|スロウな本屋

 

slowbooks.jp

 

 

昨日、スロウな本屋で、こんなのも見つけました。

戦争をやめた人たち|オンラインショップ|スロウな本屋

第一次世界大戦中の1914年のクリスマス、相手陣営から聞こえてくるクリスマスソングをきっかけに、戦場でサッカーをしたイギリス軍とドイツ軍。

なぜ1日の休戦が成り立ったのか。

なぜ、それでも戦争は終わらなかったのか。

いろんな人に感想を聞いて一緒に考えてみたいなぁ。

 

ついでに、戦争と平和について考える対話ができそうな絵本をまとめておこう。

素晴らしい絵本はたくさんあるけれど、対話の題材とするなら、ただ「戦争はダメ」「平和が大事」と訴えるものではなく、なにかしらの謎や問いかけが含まれているものがいい。

そんな観点からの選書です。

 

以前、スロウな本屋さんで対話した『へいわとせんそう』

へいわとせんそう|オンラインショップ|スロウな本屋

 

 

えほんやさん主催のえほん哲学カフェをした『せんそうしない』

せんそうしない - えほんやさんSHOP

せんそうしない|オンラインショップ|スロウな本屋

 

実際の対話の様子。

matsukawaeri.hatenablog.com

 

 

公民館で子どもと対話した『せかいでいちばんつよい国』

せかいでいちばんつよい国|オンラインショップ|スロウな本屋

 

 

まだ実際に対話したことはないけれど、いつかやりたい『なぜあらそうの』

なぜあらそうの?|オンラインショップ|スロウな本屋

文字は一切なく、絵だけ。

絵を見て気づいたこと感じたことを言葉にする過程で、いろいろ発見がありそうな一冊。

 

 

こちらも、ちょっと気になってます。

せんそうがやってきた日|オンラインショップ|スロウな本屋

小学生のときに、この絵本に出会いたかったな。

平和教育のなかでたくさん戦争映画を観せられてきたけれど、こわがりの私は目をつぶってしまって、ちゃんと観れないことも多かったので。

 

 

いつか、哲学対話のための絵本ガイドのようなものを、つくりたいな。