てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

哲学カフェ「正論はなぜ嫌われる?」

年に1回あるかどうかの、自主企画哲学カフェ。

ぽっかりスケジュールが空いたので、以前から気になっていたテーマを思い切って取り上げてみることにしました。

 

 

「正論言うな」なんて言うけれど、正論はなぜ嫌がられるのでしょう?
正しいからこそだとしたら、それはなぜ?
本当は正しくないからだとしたら、なぜそれを「正論」と呼ぶの?(イベントページの案内文より)

 

このテーマを哲学カフェのなかで扱うのは、哲学カフェでも正論を言っていいのかどうかみたいな迷いが生じそうで、メタ的な視点が必要なので迷ったのですが、やってみてだいぶスッキリしました。

 

まず、「正論は苦手」という方々の意見を聞けてよかった!

私は圧倒的に「正論言うな」と言われがちな方なので。

「相手の気持ちや言い方に配慮してほしい」という声に頷いたり、「『正論言うな』ってことは、あなたの言うことが正しいということは、相手も認めているのでは」という指摘になるほどと目から鱗が落ちたり。(「相手がこっちの気持ちに配慮してないのに、こっちだけ相手に配慮しろって求められるのはイヤだな〜」と思ったりもしたけれど。)

 

それから、私は自分で“正論”を言ってるつもりはなく単純に思ったことを言ったら相手に「正論言うな」って言われちゃったというタイプなのですが、自分で「正しいことを言おう」と思ってる人もいるっぽい?

前者と後者では、感じ方も違うかもしれません。

思ったことを言っただけなのに「正論言うな」と言われちゃうと、「思ったことを言うな」と言われた気がして、何も言えなくなっちゃう。それに私はモヤモヤしてるのだと気づきました。

 

こんなふうに、いろんな方向から「正論」について考えるなかで、私にとって一番大きな発見だったのは、どうも「正論言うな」という言葉は、現状を変えるような提案や考えを述べたときに言われやすいらしいということ(これは、自分の数少ない体験だけでは気づけなかった。いろんな体験談を聞けたから気づいたことだと思います)。

そして、正しさだけでは現状を変えることはできないらしいということです。

 

途中で、「正しいことを言うのが嫌がられるのか?正しさにも色々あるなかで特定の正しさだけを主張するから嫌がられるのか?」という疑問が浮かんだりもしたけれど、今回の対話でより強く感じたのは、“変われ”と言うのに近いことをしているから嫌がられるのではないか、ということでした。

 

現状を変えたかったら、誰かの気持ちを動かすような言い方をしなきゃいけない。

合理的な論説が誰かの気持ちを動かすこともあるかもしれないけれど、そうではないことも多い。

そんなところでしょうか。

 

全体としては、

  • 正論とはなにか?に関する議論
  • コミュニケーション(はどうあるべきか?)に関する議論

の2つを行きつ戻りつしなら考える時間でしたが、これがコミュニケーションの問題だというのことも、対話前ははっきり意識していなかったので、気づけてよかったなぁ。

 

 

他の誰かの関心に便乗しててつがくするのが好きな私ですが、たまには自分の関心も取り上げてみるもんだなぁ、と感じた対話でした。

 

ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。

戦争と平和を考える絵本

来月、「なぜ戦争をするのか?」という副題のついた絵本を題材に、えほん哲学カフェをするのですが‥‥‥

 

六にんの男たち なぜ戦争をするのか?|オンラインショップ|スロウな本屋

 

slowbooks.jp

 

 

昨日、スロウな本屋で、こんなのも見つけました。

戦争をやめた人たち|オンラインショップ|スロウな本屋

第一次世界大戦中の1914年のクリスマス、相手陣営から聞こえてくるクリスマスソングをきっかけに、戦場でサッカーをしたイギリス軍とドイツ軍。

なぜ1日の休戦が成り立ったのか。

なぜ、それでも戦争は終わらなかったのか。

いろんな人に感想を聞いて一緒に考えてみたいなぁ。

 

ついでに、戦争と平和について考える対話ができそうな絵本をまとめておこう。

素晴らしい絵本はたくさんあるけれど、対話の題材とするなら、ただ「戦争はダメ」「平和が大事」と訴えるものではなく、なにかしらの謎や問いかけが含まれているものがいい。

そんな観点からの選書です。

 

以前、スロウな本屋さんで対話した『へいわとせんそう』

へいわとせんそう|オンラインショップ|スロウな本屋

 

 

えほんやさん主催のえほん哲学カフェをした『せんそうしない』

せんそうしない - えほんやさんSHOP

せんそうしない|オンラインショップ|スロウな本屋

 

実際の対話の様子。

matsukawaeri.hatenablog.com

 

 

公民館で子どもと対話した『せかいでいちばんつよい国』

せかいでいちばんつよい国|オンラインショップ|スロウな本屋

 

 

まだ実際に対話したことはないけれど、いつかやりたい『なぜあらそうの』

なぜあらそうの?|オンラインショップ|スロウな本屋

文字は一切なく、絵だけ。

絵を見て気づいたこと感じたことを言葉にする過程で、いろいろ発見がありそうな一冊。

 

 

こちらも、ちょっと気になってます。

せんそうがやってきた日|オンラインショップ|スロウな本屋

小学生のときに、この絵本に出会いたかったな。

平和教育のなかでたくさん戦争映画を観せられてきたけれど、こわがりの私は目をつぶってしまって、ちゃんと観れないことも多かったので。

 

 

いつか、哲学対話のための絵本ガイドのようなものを、つくりたいな。

「障がいって何?」@フリーデザイン岡山

今日は、就労移行支援施設のフリーデザイン岡山へ。

哲学カフェをしてきました。

 

テーマを募ったところ、こちらの2つが提案され‥‥‥

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それぞれの理由を聞いても、消極票を募っても、途中参加者が増えても、投票では同数で決着がつかず。

最終的に、コイントスで「障がいって何?」に決定。

 

でも、もう一つのテーマ候補「才能とは?」も

  • 障がいも才能も人と違うという意味では共通する
  • 障がいも才能も、個人的なものである一方で、社会的なものでもある
  • ある特性を、「障がい」と呼ぶのと「才能」と呼ぶのと、どう違う?

と、大きなヒントとなりました。

 

「『障がい』と呼んだ方が得する場合は『障がい』を使って、『才能』と呼んだほうが得する場合は『才能』を使えばいいのでは」という自分の都合に合わせて選べばいいと考える人もいる一方で、「才能は、社会の都合で決められる」「社会や誰かにとって都合が良ければ『才能』と呼ばれ、都合が悪ければ『障がい』と呼ばれている」と、本人の都合ではなく社会や他者の都合でそう呼ばれてしまっているという指摘も。

 

「障がい」という言葉をポジティブに戦略的に利用してやろうという人と、それでもやっぱり「障がい」という言葉に抵抗があるという人、両方いたのがよかったなぁ。

 

両方の視点から「障がい」という言葉について考えるうちに、「分けすぎ問題」が発覚。

終盤は障がいを飛び越え、ハンセン病コロナウイルス、言語、文化など、あらゆる事柄に通じる「何でもかんでも分けすぎ問題」について話し合う展開に。

 

多様性を認めることは大事だけど、何でもかんでも分ければいいってものじゃない。

多様性を認めることと、「分けすぎ」と感じることが矛盾せず両立するのはなぜか考えるなかで、

  • 分けるという行為によって違いが強調されてしまう
  • 分けっぱなしにするのではなく、分けたものをもう一度共にあるように包含する何かが必要では?

といった問題が指摘されました。

 

テーマについて考えるのが哲学カフェだけど、テーマについて考えるうちに、テーマの根っこにあるより大きな問題が発見されることもある。

そんな哲学カフェの醍醐味を感じられる時間となりました。