てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

『ジュリアンはマーメイド』with えほんやさん

遅くなりましたが、先月のえほんやさん主催のえほん哲学カフェのふりかえりです。

今回の一冊は、前にも書いた『ジュリアンはマーメイド』。

 

tenkiame.com

 

matsukawaeri.hatenablog.com

 

事前のお申し込みがいつもより少なめだったのですが、自信をもって「参加しなかった人、もったいない!」と言える時間となりました。

参加したかったけれど参加できなかった方とは、ぜひまた一緒に読む機会をつくりたい!

 

以下、ネタバレあり。ご注意ください。

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「子どもと大人は対等?」@高島公民館

一昨日、5月30日(月)午前は、岡山市立高島公民館で哲学カフェ、“ふたばトーク”でした。

テーマは、1月に予定していてコロナの影響で流れてしまった、「子どもと大人は対等?」。

 

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親子関係ではなく、子どもと大人の関係を問いたいということで、何度か検討を重ねてこのテーマに落ち着いたのですが、テーマ提案者も「『対等?』という形(問い)でいいのかなぁ?」と迷いながらの、スタート。

  • 親にとっての子ども(いくつになっても親にとっては子ども)
  • 大人の対義語としての子ども
  • 未成年という意味での子ども
  • 精神的な子ども(大人のなかにもある子ども性)

‥‥‥と、様々な意味での「子ども」について、そしてそれらの関係について、じっくり考える時間となりました。

もしかしたら、対等かどうかに関するやりとりより、「子どもと大人の違いって?」「子どもはいつどうやって大人になるのか?」(大人になるターニングポイントがある?いつの間にか大人になる?)について話し合ってた時間のほうが長かったかもしれません。

 

いや、でも、対等かどうかについても、いくつか興味深いやりとりがあったなぁ。

  • 子どもが成長するにつれて、関係が変わる(お世話する側から、対等な時期を経て、お世話される側に)
  • 子ども料金や少年法がなぜあるのか?
  • 子どもはいつか子どもじゃなくなる。ずっと子どもでいるわけじゃないから、特権を許せる。
  • 選挙権がなくても、子どもが法律や制度を変えることはできる?

 

みなさんのお話を聞きながら気づいかされたのは、親子以外の子どもと大人の関係であっても、子どもに保護者がいること、子どもが負える責任に限界があることを無視できないところがあるなぁ、ということ。

哲学対話だって、大人の場合は本人が参加したいと思えば参加できるけど、子どもは親の許可や先生のサポートがないと難しいことも多いし。(会場へ行くにも、親に車で送ってもらう必要があったり。)

そう思うと、以前、高島公民館で実施していた夏休みフリー塾での哲学対話は、保護者や先生の許可なく子どもが自由に参加できる、レアな機会だったなぁ。またやりたい。

 

と、思わぬところで密かに公民館のすごさを感じたりもしました。

 

そして、午後からは、のびのびになっていたテーマ会議。

7月のテーマを決めるのが目的だけど、1つしかテーマが選べないのはボツが大量生産されちゃってもったいないので、秋の分も決めちゃいました。

 

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6月は、これもコロナで延期になってしまった「なぜ認められたいのか?」について考えます。

詳しい日程については、公民館だよりなどでご確認ください。

ゆるゆるトーク「“てつがくやさん”ってどんな仕事?」

今週水曜5月25日は、アーダコーダさん主催のこちらのイベントに話題提供者として参加。

 

 

“てつがくやさん”の仕事について、ご紹介させていただきました。

ここに書いているような哲学対話を実施するために、どんな裏方仕事があるのか、ここから派生した普段はあまり話さないお仕事のお話も。

 

このブログのどこかで書いた「コロナで収入がゼロになっちゃった」記事を見て「哲学カフェで食ってる人がいるんか」と関心をもってくださったという方もいて、うれしかったなぁ。

おかげさまで、いまはオンラインもうまく取り入れながら、なんとかぼちぼちやっています(^-^)v

 

みなさんとお話して気づかされたのは、「わたし、対等かどうかってことを常にめっちゃ気にしてるなぁ」ということ。

対話中だけでなく、テーマを設定するときや、料金の交渉をするときも。

経験値に差がある人たちでも、対等に話せるテーマを一生懸命考えたり。

依頼者と参加者と私のあいだに上下関係が生じない適正価格っていくらだろう?って模索したり。

それから夫との関係も。夫に養ってもらいながら、無料で哲学対話を提供するのは、なんかちがう気がする。

 

企画・進行の井尻さんがコメントくださった、組織と個人(フリーランス)の違いについても、気になる。

個人(フリーランス)だから柔軟に対応できることもあるけれど、組織のほうがやりやすいこともある気がする。

複数人の進行役がほしいときとか、組織対組織のほうがスムーズにいくこともある。

その辺りを整理してみたら、また見えてくるものがありそうです。

 

自分自身の仕事を省みる、とてもいい機会をいただきました。

自分自身の仕事がどんなふうに成り立っているのか、どんな条件で何ができていて、何ができていないのか、知ることも含めて哲学だと思うので、こういう機会があるのはありがたい。

参加してくださったみなさん、アーダコーダさん、ありがとうございました。

 

 

今回はフリーランスのとしてどうやってるの?というお話が多かったので、

哲学カフェをどんなふうに実践してるのか関心がある方は、以下をご参照ください。

 

哲学カフェQ&A+いろんな哲学カフェのご紹介+考察

 

もう少し具体的なやり方(あくまで1例ですが)

 

哲学カフェで、参加者や進行役は何をしてるのか

 

 

そして、アーダコーダさん、次回のゆるゆるトーク企画はこちら。てつがくやさんとしても、非常に気になるタイトルです。

「職場で2年間哲学対話をしてみたら人にどんな変化が起きた?」:哲学プラクティスあれこれゆるゆるトークvol.22