てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「効果があると言えるのはどんなとき?」@岡山大学

ちょっと時を遡りまして‥‥‥

8月30日(日)は、岡山大学医歯薬学総合研究科主催の医療者対象オンライン哲学カフェでした。

テーマは「効果があると言えるのはどんなとき?」。

この春から薬剤師として働いている方からの疑問から生まれたテーマです。

 

治療や薬、勉強法、恋愛、子育て、ダイエット‥‥‥

何かについて「効果があった!」と思うのはどんなとき?

検査や人によって効果の判断が分かれたら?

 

哲学カフェでは、暮らしや人生のなかのふとした疑問について、

飲み物片手に参加者同士の対話をとおして考えます。

哲学に関する知識はなくても大丈夫。

進行役がみなさんの対話をお手伝いします。

 

(2020年8月30日の哲学カフェ案内文より)

 

前回は初めてのオンライン哲学カフェということで、哲学カフェ経験者ばかりに集まっていただきましたが、今回は初めての方にもご参加いただきました。

 

薬、漢方をはじめ、

ウォーキング、禁酒、カウンセリング、洗脳

柔道、ピアノの練習、ポケモン

てるてる坊主

 

‥‥‥と、様々な例をヒントにしながら、

「効果は、目的が果たせたかどうかで判断される」

「そもそも、なんらかの期待やゴールがないと、効果の有無も判断できないのでは?」

「効果とは、働きかけに対して生じる振れ幅のこと」

などなどの視点が出てきます。

 

意見が分かれたのは、人間関係にも「効果」の有無が存在するのかどうか。

それから、「効果」と呼ばれるのはプラスの作用のみか、マイナスの作用も含むのか。

ここから「効果」と「効果がある」という言葉の使用法のちがいが指摘され、演劇やパワーポイントに「効果をつける」というときの「効果」の話が出てきたのは、びっくりしたなぁ。

たしかに、それも「効果」だ!と。

盲点でした。

 

後半は、それまでに出ていた3つの論点

  1. 効果はポジティブなものか?
  2. 効果は主観的なものか?
  3. 効果は大きいほうがよいか?

から関心あるものをお尋ねし、多くの票が集まった「効果は主観的なものか?」についてあれこれ話し合いました。

ある参加者の地域医療での経験から、医療者と患者さんの「効果があった」と感じるポイントのズレ、スポーツ観戦の応援やピアノの練習の交換を考えるなかで判明した、効果を感じるまで続けられるかは誰かの応援を感じられるかも大きく影響するという発見が、印象に残りました。

 

今回はあまり話し合えなかったけど、興味深かったポイントもあります。

「効果がありすぎるとこわい」という指摘については、また機会があれば考えてみたいなぁ。

 

だいぶ、オンラインでの哲学カフェにも慣れてきました。

次回は11月に開催の予定です。

 

難航するphilosophy

対話はいつでもナマモノなので、
思いのほかうまくいくこともあるし、
予想外のところで難航することもある。
 
なるほど、こういうところでこういう風に難航するのか!
そこに学びや発見があると思うと、失敗や困難も愉しい。
 
そうしてまた、“philosophy =知を愛すること”を再発見する。
 
でも、いつも常に、失敗や困難を愉しめるかというと、そうでもない。
うまくいかないこと、うまくできないことが怖くて、
目をつぶってしまいそうになることもある。
 
それでも、“philosopher=知を愛する人”でいられるか?
それでも、“philosopher=知を愛する人”でいたいか?
 
いつもいつも、問われてる。
 

思考の交差点を探そう!〜牢屋のなかでも自由でいられる?〜

9月4日、またまた徳島県立池田高校へ。

今度は、探究科の1年生が対象。

もともと6月末に企画していたのが、大雨の影響で延期になって、ようやく実現。

 

1年生だしお互いを知るために、先日2年生対象に実施した「相手の考えを理解する質問」をしようかとも考えたのですが、私自身の自己紹介もしないといけないし、ワークの説明が短いほうがいいなと、「牢屋のなかでも自由でいられる?」をお題に思考の交差点を探すワークを実施。

 

こちらのセミナー時に開発したワークです。

matsukawaeri.hatenablog.com

 

くじびきで3人1組になってもらい、それぞれの考えの共通点と相違点を探すワークなのですが、昨年12月に2年生を対象に実施した際、3人1組だと煮詰まってしまうグループもあることがわかりました。

たしかに、少人数って話しやすいけど、一人一人の負担は大きいもんね。

そこで、今回は途中からもう1組と合体し、2組6名で協力しあう体制に。

さらに、校長先生に助っ人に入ってもらう場面も。

前半、苦戦していたグループも、後半かなりがんばってました。

 

 

それでもやっぱり、何をしているのか、なぜこれを楽しそうにやってる人がいるのか、まだピンときてない人もいるかもしれません。

みんなで話して聞いて考えるって、どういうことか。

なにも説明しなくてもすでに知ってる人もいるし、少しの説明で伝わる人もいるし、他の人たちがやってるのをみてそういうことかと理解する人もいるし、試行錯誤やりながら少しずつ学んでいく人もいる。

これは学校だからとか、まだ高校1年生だからとかではなく、街中の哲学カフェでも、大学の哲学科でも、どこでもそう。

 

幸い、今年は助成金の力もお借りして、ある程度継続的に哲学対話を実施する機会をいただけそうなので、(コロナの影響で学校行事があまりできないこともあって、レクレーション的な意味でも期待してくださってるそうです、ゆっくりじっくり、クラスのなかに対話をとおした探究の文化を耕していけるといいなと思ってます。

 

まだ、何をどういう順番でやっていくか、これまで単発で実施してきた企画をどう連続したプログラムとして組んでいくのか、迷ってるので、近々落ち着いてこれまでの池田高校での取り組みをふりかえり、考えないと!