てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

オンラインテツドク!フーコーとともに権力と自由について考える

先週末、6月7日(日)は、哲学者の言葉に触れ対話する〈テツドク!〉を開催しました。

 

いまのこの状況って、医療や公衆衛生などをとおして私たちを管理し生かす〈生-権力〉の概念を提示したフーコーを読むのにぴったりだよなぁ、なんて考えていたところに、カフェフィロメンバーである廣井さんより「フーコーでテツドクを!」とお誘いいただきまして。

 

手に取りやすそうなこちらから

「自由の実践としての自己への配慮」を読んでみることに。

 

フーコーの権力と自由についての考えがぎゅっとつまっていることと、

ここで紹介されている古代ギリシャの「自己への配慮」「他者への配慮」という概念が、

いま読むのにぴったりじゃないか、と思って

*1

蓋を開けたら、参加者からは新型コロナウィルスに絡めた話はそんなに出なかったんですが、紹介者としては過去最高にフーコーの権力論について説明しやすい状況であったことは間違いありません。

 

みなさんとの対話では、

フーコーの「自由」観と「自由の相互承認」説とのちがいを明らかにしたり、

タワーマンションを例にフーコーが「権力関係」と「支配状態」のあいだにあるといっている「統治性」について考えてみたり、

「自己への配慮」と「他者への配慮」について、「よかれとおもってやったことが、相手の負担になっていることがある」という問題を親子間にある権力関係を思い浮かべながら考えてみたり*2

なかなかの充実ぶり。

目指してたとおり「思ったのとちがったけど思ったより楽しい」時間となりました。

 

特にわたしはフーコー愛が強すぎてフーコーを別の視点から読むのが難しいので*3、こういう機会があるのは本当にありがたいです。

みなさんと読むと、「その反論は思いつかんかった!」「たしかにタワーマンションって統治性について考えるのにぴったりやん!」などなど、刺激がたくさん。

 

さらに、みなさんとの対話から、新たな企画の種も‥‥‥。

そのうち実現でいるといいな♪

 

終了後も、感想を語り合ったり、みなさんの関心にぴったりなフーコー本を紹介したり*4、1時間ほどおしゃべりを楽しみました。

 

企画してくださった廣井さん、参加者のみなさん、ありがとうございました。

フーコーを読みたいときは、ぜひまた声をおかけくださーい♪

 

cafephilo.jp

 

*1:権力論で有名な『監獄の誕生』は気軽に手に取りにくい代物だし、『性の歴史I 知への意志』も今回のリクエストとは、ちょっとちがうかなと。

*2:終了後、そうやって気にかけること自体が、まさに他者への配慮を含有する自己への配慮ではないかと思ったり

*3:研究者としては致命的な欠点なので、今後は「フーコー研究者」ではなく「フーコー愛読者」と名乗ることにしました。

*4:自宅からオンラインだと、本棚からさっと取り出してご紹介できるのがいいですね。

哲学は現実を動かす〜「てつがく対話で男女共同参画」の後日談〜

昨年、「てつがく対話で男女共同参画」企画でお世話になった愛知県犬山市で活動する犬てつさんより、うれしいニュース。

「ずるい?」をテーマに「中学の制服、ズボンが履けるのは男子だけってずるくない?」「いやいや、普段、スカートかズボンか選べる女子のほうがずるいよ!」と制服論争が展開した子どもグループの対話。

それに参加してた子が議員さんに問いかけ、制服のスカートとズボンが選べるようになったそうな。*1
 
男女共同参画って大事だけど、実際には難しいよね」なんて言ってた大人たちは、びっくりしてるかな。
犬山市に限らず、他の地域でも男女共同参画推進のメンバーから「理想だけど難しいよねという声を聞くことは多い。
男女共同参画を実現するために日々がんばってるからこそ、その難しさを感じることも多いのだろう。
けど、子どもたちをみていると、大人が考えるよりずっとシンプルなことなのかもしれないとも思う。
 LGBTのことだって、打ち合わせで大人からは「小学生には難しくない?」なんて声が出てたけど、子どもたちはそういう人がいることをごく当たり前のこととして話してたしね。
あの日、大人グループの対話で出たように、「自分を縛っているのは自分自身かもしれない」という側面は侮れないなぁ。
 
哲学は机上の空論や屁理屈じゃない。
現実を動かしうる実践であることを身を以て証明してくれた犬てつの子どもたち。

彼らの哲学対話の記録が、7月末ごろ書籍になります。(わたしも、ちょこっと登場します。)

子どもたちの実践から、わたしたちも学ばねば!

 

 

 制服が変わるきっかけになった(!?)「てつがく対話で男女共同参画」のふりかえりはこちら。

matsukawaeri.hatenablog.com

 

 

犬てつのブログもどうぞ。

inutetsu.exblog.jp

 

“てつがくやさん”の危うさ

いろんな方がfacebookでシェアしてくださったこちらの批判記事、

 

asanotakao.hatenablog.com

 

批判されてる内田樹さんの書評もあわせて読みました。

 

 責任ある言論人として内田氏に必要だったのは、「何も知らない」ゆえに書けないないのであれば書評の依頼を断ることでした。*1

 

これって、まさに、わたしが“てつがくやさん”の危うさとして感じていることだ。

 

断ることができなければ、パレーシアテース(真実を語る者)としての哲学者としての資格を失ってしまう。
だから、生活のために哲学する、あるいは哲学以外のなにかのために哲学するということは、哲学そのものを危うくしてしまう。
ここが“てつがくやさん”の危うさだ
ちょうど、そういうことを今月末(6月27日)の「お金をもらって哲学するとは?」なぞらじスペシャルライヴで言葉にできるといいな、と考えていたところだった。
 
でも、もしこれが内田さんなりの、「俺にこの書評を依頼するなんておかしいでしょ」というメディア批判だったとしたら?
これが内田さんなりのパレーシア(真実を語ること)かもしれない。
 
‥‥‥とも考えてみたけれど、だとしてもやっぱり他者(著者をはじめこの詩集に関わった人たち)にへの配慮を欠きすぎていることは否めない、よなぁ。残念だけど。
 
その危険性と自分も隣り合わせなのだと自戒を込めて。
 

*1:内田樹氏によるホ・ヨンソン詩集『海女たち』の書評に異議を表明します - ASANOT BLOG / アサノタカオの日誌