昨日は、こちらのトークベイベントでした。
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まさかの、銭湯の話題ではじまりパンツの話で終わるという謎展開。
だから、哲学対話っておもしろい!
ハタノさんの「オンライン銭湯」と称して、みんなで自宅のお風呂にはいって話すという企画は、オンラインでいかに体験を共有するかという意味でも興味深かったし、最後は「裸で話せるか」というのがメタファーとしても利いてのこちら。
自分でもはいてるつもりのないパンツがあった!(by 中川雅道/松川メモより)
哲学カフェで、立場や肩書き、見た目からくる社会的な属性をいかに脱げるか。
これは、わたしが哲学対話の実践のなかでずっと気にかけてきたことなのですが、リアル哲学カフェでは、どうしても脱げないものがある。
本人にそのつもりがなくても、無意識に年齢や性別から発言のしやすさに影響を与えてしまうことがある。
チャットのコメントで参加者にご指摘いただいたとおり、なめられているほうは「なめられてるな」と気づきやすいけど、威圧感を与えてるほうはそのことに気づきにくい(だって、本人には言いにくいもん)という不均衡さ。
その脱げないものがあるなかでいかに対等に話せるか、というところがリアル哲学カフェのチャレンジングなおもしろさだったりすると思うのですが、
オンラインの哲学カフェでは、そうした不均衡さがかなり和らぐ気がするし、工夫の仕方によっては完全に脱げるかもしれない。
そのあたりが、松川的な一番のハイライトとなりました。
ほかにも、オンラインとオフラインのちがい、オンライン哲学カフェならではの可能性と限界、参加感の謎、対話のなかでのケアとは?、結婚や夫の転勤で知り合いの全くいない土地で暮らすことになった妻にとって哲学カフェがいかにありがたい存在か、寝転びながら哲学カフェしてみたい!などなど、今後につながるヒントがいろいろ。
あと、今回の、ゲストのトークを聞きながら、参加者(リスナー?)のみなさんにコメントを投稿してもらうスタイル、「チャットのコメントが多すぎて追いきれないかも」という声もありましたが、わたしには合ってるみたい。
対話中も全部目をとおして、ヒントをいただいておりました。
チャットのなかでも、もう一つの対話が繰り広げられてるような感じも、おもしろかったです。
月末のなぞらじスペシャルライブも似たようなスタイルでやるので、楽しみです。
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