てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

オンライン哲学カフェ「気持ちを大事にするってどういうこと?」@岡山大学

オンライン哲学カフェ、オンライン授業、オンラインセミナー‥‥‥とそれらの準備に明け暮れていて、こちらがしばらくお留守になってしまいました。

 

前回の投稿の翌日、5月10日(日)の午後は、はじめてオンライン哲学カフェを開きました。

岡山大学大学院医歯薬学研究科のご依頼で、対象は、これまで岡山大学大学院の医療者対象の哲学カフェに参加してくださった方々。

いつもは医療者なら誰でもOKなのですが、今回はなんせオンラインでの初めての哲学カフェということで、対象者を哲学カフェ経験者に絞らせていただきました。

人数も、いつもは10名以上集まりますが、今回は主催者、進行役も合わせて9名と抑え目に。

 

育児サークルで哲学カフェをはじめたり、大学のお仕事をやめて「てつがくやさん」を始めたり、けっこう「無謀」と定評のある私ですが、今回は「私ってけっこう慎重派だったんだなぁ」と、しみじみ感じています。

オンラインだと、参加者の感じる違和感に気づきにくいのでは、という懸念が、わたしをそうさせているのだと思います。
あと、お金をいただいてお仕事としてやるからには、というのも当然ある。

 

はじめてのオンライン哲学カフェがどうなるかドキドキでしたが、これはこれで、なかなか楽しいものですね。

直接会って輪になると隣の人の顔が見えにくいけどzoomだと全員の顔が見えたり、途中、図を描いて説明してくださる方がいたりと、オンラインならではのよさも見つかりました。

 

内容も「気持ちを大事にするってどういうこと?」をテーマに、医療現場や日常生活のなかのちょっとした場面、文化的な差異などを例に、①気持ちと感情のちがい、②気持ちを大事にすることと相手との関係性、を中心にじっくり考えることができました。

なかには、「気持ちを大事にしすぎると、医療が成り立たたなくなる恐れもある」といった、このウィルス禍で医療現場が何を優先すべきか考えさせられる声も‥‥‥。

 

予想通り、思考を深めるという点では、場合によってはオフラインよりやりやすいかもしれません。

どこまで参加者をケアできるかについては、参加者数ややり方にもよるだろうけど、オフラインのほうがやりやすいかもしれない。
けど、いまは、こういう場を提供すること自体が、他の誰かと思考や対話を楽しみにたい人たちへの最大のケアになるだろうから、迷わずできることからやっていこう、と思いました。
 
次回開催がオンラインかオフラインになるかまだわからないけれど、もしオンラインだとしても時間は哲学カフェが初めての方も交えて楽しめそうです。

ライプニッツ係数と世界の調和

ライプニッツといえば、わたしにとっては「モナド」と「可能世界」の人なんですが、夫(弁護士)にとっては、損害賠償請求計算の人らしい。

 

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法曹界でいうところの「赤い本」(『民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準』(日弁連交通事故センター東京支部編)より

 

 

ライプニッツ係数というのがこちら。

ja.wikipedia.org

 

 

まぁ、簡単にいうと、交通事故などで障害を負った場合に、長期的にかかる介護やなんかの分の賠償金を一度にもらって、いま使わない分を銀行に預けておいたりすると、利子が発生しますよね。

それってちゃんとその都度介護費用を払えば生じないはずのお金なので、その利子分は賠償金から先に引いておきますね、っていう計算らしい。

いや、まぁ、よう知らんけど。*1

とにかく法曹界では、現在も現役バリバリに紛争解決に役立ってる計算方法だそうです。

 

で、その計算方法を考案したのが、「モナド」だとか「可能世界」だとか言ったライプニッツと同一人物であると。


実は、わたしは学生の頃から、ライプニッツの、私たちが生きるこの世界の他にも様々な世界が存在しうるという「可能世界」論が大好きなんです。

が、その一方で、その「可能世界」を神と結びつけ、現実に創られた「この世界が全ての可能世界のなかで最善のものである」と述べたことに不満も抱いておりました。*2

結局、神かよ! わたしは、この世界が最善だとは思えない!と。

 

でも、ライプニッツよ、いろんな世界がありうるけれどこの現実世界が最も調和してるはず、そうすることができるはずだと、神を信じるだけじゃなく自ら努力してたのね〜。

見直したわ。

 

このGWに夫の隣で仕事しているときに、実際にライプニッツ係数が使われている現場を初めてみることができましたが、実はこのライプニッツ係数のことを教えてもらったのは何年も前のこと。

 

夫「交通事故でライプニッツ係数っていうのを使うんやけどさぁ‥‥‥」

私「え、ライプニッツって、あのライプニッツ?」

夫「え? なんで、ライプニッツのこと知ってるん?」

私「いやいや、ライプニッツは哲学者やから!学生のときから知ってるよ〜」

 

と、まるで共通の知り合いを見つけたときのような驚きと感動。

その後もときおり会話のネタとなって、われわれ夫婦の調和に貢献してくれているのです。

 

 

【おまけ】

法曹界での「ライプニッツ、赤い本」といえば、『民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準」(日弁連交通事故センター東京支部編)だそうですが、わたしにとって「ライプニッツ、赤い本」といえば、こちら。

モナドロジー・形而上学叙説 (中公クラシックス)
 

 

*1:関西弁で「確かな情報ではないので、間違ってても許してね」という意味の言葉です。あくまで素人説明なので、間違ってたらごめんなさい。

*2:わたしが哲学ウォークで時々使う、「我々は考えうるなかで最もよい世界に生きている」というライプニッツの言葉も、この思想からきています。

facebookで哲学ウォーク〜参加者の感想+コンセプトはどこいった?〜

5月2日に開催したfacebookで哲学ウォーク、参加者の方がその日のうちに感想をご自身のブログにアップしてくださいました。
京都でナラティブ・カフェを開いてらっしゃる、Lotusさんの感想です。

 

life.sensuallotus.com

 

送られてきた言葉にぴったりな場所を探して歩く様子、

なんとなく頭にあった案もあるけれど「しっくりこないな」とやめたり、

諦めかけてふと覗いたそこで「これだ」というものに出会ったり‥‥‥。

そういう哲学ウォークならでは逡巡や、徐々に自分の選択の奥にある思考が紐解かれていく様子が伝わってきます。

 

特に、この「しっくりこないな」という感じを、わたしはとても大切にしていて、うれしくなりました。

わたしたちのなかには、自分でも自覚していない思考がまだたくさん眠っている。

哲学とは、それを宝探しのように発掘していく作業だ。

わたしはこう考えているのですが、「しっくりくる/こない」というのは、その発掘の重要なヒントになります。

それが、目の前の景色や他の人からの質問をヒントに少しずつ掘り起こされ、明らかにされていくのが、哲学ウォークのおもしろさなんじゃないか。

そう思ってます。

 

 

ところで、最後のほうで彼女が指摘してくださったように、ピーター・ハーテローさんのオリジナル版では、場所とともに「コンセプト」をつくることになっています。

「コンセプトをつくる(conseptualize/概念化する)」という作業は、哲学的営みにおける重要な基礎能力のひとつです。

が、今回の《facebookで哲学ウォーク》では思い切ってこの「コンセプトをつくる」という作業を省くことにしました。

 

省いた理由は、「コンセプト」というものがどういうものか、全員に伝えられる自信がなかったから。

実際、オリジナル版の哲学ウォークを実践していても、しばしばこの「コンセプト」というのがどういうものか戸惑う方がおられます。

対面だと相手の様子をみながら説明を補足したり、コンセプトづくりをさりげなくフォローすることも可能なのですが、投稿スタイルだと難しい。

もちろん、わたしが説明下手なだけで、説明のうまい人ならなんの問題なくできるのかもしれません。

が、説明があまり多くなると参加のハードルがあがるし、なるべくいろんな人に楽しんでもらいたいというここともあり、シンプルな形にまとめることにしました。

 

その代わり、その場所を選んだ理由がきちんと文章化されるので、質問される方もそれをヒントに質問を考えられるのではと思います。

(一方で、オリジナル版の哲学ウォークでは、理由を繰り返しきくことができないので、コンセプトがないほうが難しいかもしれません。)

 

この感想を寄せてくださった、Lotusさんのように、最後に「今回のわたしのコンセプトはこれかな?」なんてふりかえると、さらに充実したワークとなるかもしれませんね。

 

 

もうひとつ、Lotusさんがおっしゃっている、こうした哲学実践とナラティブ・アプローチとの親和性や相違点については、今回の哲学ウォークだけじゃなく、他の哲学実践も含めて、今後じっくり考えてみたいなぁ。