まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

「忘れるもの-忘れないもの」@西川アゴラ

こんにちは。

哲学ウォーク後、めずらしく熱を出してダウンしておりました。

哲学カフェは休まずやってますが、ふりかえりが追いつかず‥‥‥

 

ひとまず、昨日5月13日にピンチヒッターで進行した哲学カフェのふりかえりをしておきます。

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初めて、岡山大学のまちづくりの拠点、西川アゴラにお邪魔してきました。

岡山駅からほど近く、窓から西川の緑が感じられて心地よい空間でした。

雨のなか、11名の方がご参加くださいました。

(定員は10名でしたが、最後のお二人は同時にお申し込みされたようです。)

 

テーマは、「忘れるもの-忘れないもの」。

進行役をされる予定だった木下志穂さんが作成してくださった案内文を紹介したあと、対話をスタート。

人の顔は覚えてるけど名前を忘れてしまう、身体かされた記憶、震災、夢、忘れてしまうことへの恐れ、手帳やメモをとること‥‥‥などなどを手がかりにしながら、いくつもの論点を行きつ戻りつしながら展開しました。

 

「忘れてしまうのは注意不足?」

「忘れないのは意味のあることだから?」

「たいわもないことを覚えているのはなぜ?」

「同じ場にいたのに、人によって記憶が違うのはなぜ?」

「記憶が薄れたり、思い出が美化されたりするってどういうこと?」

「そもそも記憶以前に、出来事の認識の仕方がちがう?」

「その場にいなかったはずなのに、記憶があることもある?」

「ひとりの記憶と、共同の記憶のちがいは?」


最初の30分、テンポよく発言が続いたあと、中盤は夢と記憶の関係と記憶のズレについてじっくり検討するなかで、時間がたって記憶が薄れたり美化されるのではなく、そもそも最初から出来事の認識がズレていた可能性が浮かび上がり、記憶の手前の認識の問題へ。
終盤は、事実と記憶のズレから、共同の記憶や身体化された記憶の問題に触れました。

 

驚いたのは、このテーマでこんなに夢に関する話で盛り上がれるんだ!ということ。

そこから、認識の問題へ展開しところが一番ワクワクしました。

また、共同の記憶について、個人の記憶と形成のされ方がちがうんじゃないかという指摘が興味深かったので、また考えてみたいなと思いました。

今回の対話で何を忘れずにいるかも、人それぞれ異なるのかな?

もしかしたら、これを読んで「え、そんな話だったっけ?」と思ってる参加者の方もいるかもしれません。

それはそれで、どうして自分はそれが心に残ったのか、考えてみるのもおもしろいですね。

 

ご参加くださったみなさん、ご協力くださったみなさん、ありがとうございました。