まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

「可能性は多いほうがいいのか?」@フリーデザイン岡山

4月25日(水)は、就労移行支援センターのフリーデザイン岡山で哲学カフェでした。

テーマは、前回「若さ」について話し合うなかからでてきた、「可能性は多いほうがいいのか?」。

 

哲学カフェ「可能性は多い方がいいのか?」

 

まず、「可能性」という言葉を、あることが実現する確率と捉えている方と、選択肢がいくつもあることと捉える方とがいて、びっくり。

それから、可能性は多いほうがよいという人、可能性が多ければ多いとは限らないという人。

成長して何かを実現すればするほど可能性は狭まるものだという人、老いてもなお可能性を狭めないほうがよいという人。

また、そもそも、可能性について普段からあれこれ考える人と、「可能性があるかどうかって、あまり考えない。やりたいことはやっちゃう」という人がいるのが興味深かったです(いろんな話をきくうちに、やりたいことが取り組めるうちは、人は可能性が多いか少ないかなんて気にならないものなのかもしれない、と感じました)。

 

こうした互いの意見の相違が浮かび上がる過程で、「手札」という比喩が大変助けになりました。

手札が見えるとしても多すぎると何を出すべきか迷ってしまう、トランプとちがって人生においては自分がどんな手札をもっているかわからない、手札毎に実現する確率がちがうのでは、自分の行動や出会いによって手札が増えることもある‥‥‥などなど。

 

そのなかで、特に以下の3点が印象に残りました。

  1. 手札が見えるかどうか問題:「どんなにがんばっても、桜の木に薔薇の花が咲くことはない」という言葉に説得力を感じる一方で、そもそも自分が何の木なのかわからないという状況もある。
  2. 情報が可能性にどう影響するか:情報が多いほうが選択肢が増えるという人もいる一方で、情報や選択肢が多すぎると迷って行動に移せなくなるという人も。
  3. 「可能性が多い」というのは、どうなるかわからない時に下される判断:赤ちゃんは「無限の可能性がある」と言われるけれど、本当に何にでもなれる可能性があるわけではなく、どうなるか予測できないだけ。

 

 

私たちはみな、最初から、自分の手札、あるいは自分が何の木かわかっているわけじゃない。

何にでもなれるわけでもないし、かといって何になれるか初めからわかっているわけでもない。

自分の可能性を知るためには、ただ単に情報がたくさんあればいいわけじゃなくて、適宜情報を仕入れながらトライ&エラーでジタバタするのが大事なのかな。

そんなことをしみじみ感じる哲学カフェでした。

 

ご参加くださったみなさん、フリーデザイン岡山のみなさん、ありがとうございました。

 

さて、これまで月1でオープンに開催してきたフリーデザイン岡山の哲学カフェですが、今後は隔月偶数月の開催になります。

 

1年半ほど哲学カフェを続けてきて、他者とともに考えることの楽しさを感じてもらうこと、地域と施設をつなぐ場づくりなど、手応えを感じています。

と同時に、哲学カフェだけでは担えない課題があることも明らかになってきました。

その課題に取り組むため、奇数月は、内輪向けのプログラムを提供させていただくことになりました。フリーデザイン岡山に登録のない方はご参加いただけませんが、間接的に、哲学カフェや地域での対話づくりなどに役立つこともあるだろうので、ご了承ください。

これまた実験的な取り組みになりますが、成果が出たら、なんらかの形でみなさんと共有できるといいな、と思っております。