まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

哲学カフェ「死」@リトルプラス

カテゴリが下にあると不便なので、ブログデザインを変更してみました。


ふりかりの順序がバラバラですが、時を遡って‥‥‥

11月14日は、玉野市のリトルプラスさんへ行ってきました。

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©リトルプラス

岡山県で初の、うつ病に特化した復職支援施設です。

復職トレーニングのプログラムの一つとして、昨年2月頃からかな?哲学カフェが組み込まれています。

ふだんは、リトルプラスのスタッフさんが進行しているのですが、何ヶ月かに一度、ご依頼をいただき、進行を務めさせていただいています。

 

ちなみに前回はうかがったのは、8月。

リトルプラスのブログで、その様子をご紹介いただいています↓

little-plus.jp

 「スタッフのスーパーバイズ」とおしゃってくださっているのは、哲学カフェ前後のやりとりのことです。特別なことをしているわけではありません。ただ、テーマの背景を確認したり、対話を振り返るついでに、スタッフの方に気になることをうかがって、おしゃべりしながら一緒に考えます。そういう時間が私にとっても、哲学に対するニーズ(哲学の可能性)を発掘する大きなヒントになっています。

 

今回は、「“死”をテーマに哲学カフェをしたい!」という利用者のご要望と、「“死”をテーマに進行するのは気が重いなぁ」というスタッフの方の声を受けて。

たしかに、うつ病の方と一緒に「死」について語り合うというのは、ちょっとドキドキします。

でも、これまでの経験から、一人で考え込むよりみんなで話したほうが精神的な負担も少ないし、リトルプラスには考えるのが好きで優しい人が多いから、絶対おもしろくなるだろうと思って、やってみました。

 

結果、めちゃくちゃ楽しかったです!

 「死」について話すのが楽しいなんて、不思議な気もしますが‥‥‥

 

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深く細かく考えるのが得意な人が多いので、逆に全体を見失わないよう、板書しながら。

 

「死んだらいけないの?」という倫理観やその背景となる人間関係だけでなく、

「死んだらどうなるの?」「生まれ変わりってある?」といった素朴な疑問、

「細胞が分裂して増殖する単細胞生物にも死はあるのか?」といった科学的な疑問、

脳死とは逆に、脳だけが残って体が全部入れ替わったら?」といったSFな疑問など、

様々な方向から「知りたい!」という好奇心に触れ、なんだか哲学(philo-sophy=知を愛する)の原点に立ち返るような時間でした。

こんなに、年100回以上も哲学カフェをしているのに、あんなに素直な好奇心を発揮したのって、ずいぶん久しぶりかもしれない。哲学者としては、ちと恥ずかしいことかもしれませんが。

 

参加者のみなさんも新鮮だったのか、終了後、「ああいう科学的な話も、哲学になるんですか?」とご質問いただきました。

生物の種類や脳死に関する話題もでましたが、そのなかで私たちが向き合った「死とはなにか?」という問いは、科学の前提を問う飽くなき好奇心という意味で、とても哲学的だったと思います。

 

そして、その一方で、倫理的な「死んだら、なぜいけないの?」という問いについても、とても印象に残った言葉がありました。

それは、「死んだら周りの人が悲しむからダメって言うけど、じゃあ、私たちは周りの人のために生きてるの?」というツッコミ。

たしかに、もし周りの人がどう感じるかばかり気にして、周りの人が悲しまないように怒らないように生きてたら、とても苦しいだろうな。それって、自分の人生って言えるのだろうか‥‥‥。

そんなところから、「死にたい」にしろ「死にたくない」にしろ、本人の気持ちをどれぐらい尊重すべきか、また、本人の本当の気持ちはどうしたらわかるのか、といった論点も出てきました。

これはこれで、私にとっては純粋な好奇心というよりも、大事な人を大事にしてゆくために、向かっていかねばらない問いだなぁと思います。

 

哲学の原点となる好奇心と、人と関わりながら人生を歩んでいくことの、両方の奥深さを感じさせてくれる対話でした。

 

ご参加くださったみなさん、ご依頼くださったリトルプラスのみなさん、ありがとうございました。