1日遅れで、アーカイブ視聴しました。
パレーシア(リスクを負って率直に自分が真理だと思っていることを述べること)に哲学者の役割や居場所を感じているところに、強く共感。
一方で、単発の出前の積み重ねで関わる“てつがくやさん”と、内部の人として関わる企業内哲学者の関わり方のちがいが、とても興味深かったです。
出前型の“てつがくやさん”は同時に多数のコミュニティや組織に関われる(他のコミュニティや組織での出来事や試みも参考になることがある)のが利点ですが、企業内哲学者はひとつの組織に複数の仕方でがっつり関われるという利点がありそう。
途中で紹介されていたルイス・デ・ミランダと同じように、わたしも、一つの企業(あるいは組織)に足場を置いて哲学者として存在するのは難しいのではと思っているタイプなのですが*1、ひとつの足場に依存していなければ、つまり「クビになってもなんとかなる」という状態なら、企業内哲学者であってもパレーシアを十分実践できるものなのかも。
最後に質問された方とのやりとりも、非常に興味深かった。
企業にしても哲学や人文学にしても、一般的なイメージで語るのと、実際に生身の人の具体的で個別的な強いニーズに触れることのギャップを、しみじみと感じました。
佐々木晃也さんの論文
「企業内哲学者はいかなる意味で哲学者であるのか? : 企業哲学実践の動向とその批判」
復刊熱望