4月8日(日)の午前中は前にも書いたとおり小学生向けのワークショップでしたが、
午後からは2ヶ月に1度の尾道での哲学カフェでした。
テーマはいつもどおり、主催者であるantenna Coffee Houseのマスターの提案です。
昨今、なにかとニュースになることの多い不倫の話題から「不倫って、順番がちがうだけじゃないの?」と思ったのがきっかけとのこと。
たくさん哲学カフェしてるけど、「早い者勝ち」について考えるのは初めてで、私もドキドキ。
参加者のみなさんに挨拶をしながら、「そういえば、哲学カフェの座席も早い者勝ちやわ!」と、早速「早い者勝ち」が自覚なしに浸透していることに気づかされました。
参加者のみなさんからも、限定人形100体買い占め問題、チケットの購入、電車やバスの座席、夕飯のおかず、商標登録、特許、不動産の売買など、身近な事柄からニュースな事件まで、様々な「早い者勝ち」が出てきました。
チケットの購入ひとつとっても、最近、「コンサートのチケットは抽選のことが多い。抽選と早い者勝ち、どっちがいい?」とか、「カープのチケット購入は、並ぶ人が多すぎて、整理券が発行されるようになった」など盛り上がります。
ざっとこんな切り口が出てきました。
「早い者勝ちは、抽選、オークション方式、強いもの勝ちなど様々ある決着をつける方法の一つ」
「自然にほうっておけば、早い者勝ちか強いもの勝ちのどちらかになるのでは?」
「早い者勝ちで決まることに『仕方ない』と思える場合と、納得いかない場合がある。どうちがうんだろう?」
「表向きは早い者勝ちと言いつつ、実はそうでない場合もある。相手が怖いと、『早い者勝ちね』と言われても手を出せない」
なかでも参加者間で意見が分かれたのが、列に並ぶことを「早い者勝ち」の一つと捉えるかどうか。
「早い者勝ちって、我先にと相手を押しのけるイメージ。列に並ぶのはちがうと思う」という人もいれば、「列に並ぶのは、早い者勝ちの平和なやり方じゃないか」という人も。
両者で、「早い者勝ち」の指す範囲がだいぶちがうのが、面白かったです。
もうひとつ興味深かったのは、何かを受け取る視点からの発言は多く出たけれど、何かを提供する側の視点がほとんど出なかったこと。
後半、進行役である私から「自分が提供する側だったらどうでしょう?」と投げかけてみたところ、いくつかは出てきましたが、やはりすぐに受け取る側からみた話に戻ってしまいました。なぜでしょう?
「早い者勝ち」は、自分が受け取る側になったときに意識することが多いのかな?
それとも、そもそも私たちの暮らしのなかで、何かを提供する経験より何かを受け取る経験のほうがずっと多いから?
話されたことはもちろん、何が話されなかったかからも、さらなる発見がありそうです。
来月は、GW恒例、哲学ウォーク@尾道!
今年はどんな哲学者の言葉を仕込んで、どんなルートを歩くか、考え中。
お楽しみに!