『されど愛しきお妻様』の鈴木大介さんが、生理について語ってた。
もう25年ぐらい私が感じていたこと、そのまんま言葉にしてくれていて、うれしい。
僕はこれまでの著作でも、人の他人に対する想像力の限界について切々と訴えてきた。
〔中略〕
けれど、少なくとも女性の生理には目に見える流血が伴うわけで、それは可視化された身体症状だ。にもかかわらず、見えてない、隠されている、だから男は想像もしない。毎月インフル……ありえんわ。
社会的困窮状態にある女性の多くが生理の辛さを抱えているにも関わらず、なぜ、見えていないのか。
鈴木さんは、女性のなかの分断に思い当たる。
ああ、ここに分断の根っこがあったのか。生理が軽い女性と重い女性は分断され、生理が重い女性も同様の女性同士で助け合う自助的グループと、そのグループにも入れない女性で分断される。民間療法的な緩和策を取るグループと、それを冷笑する理系女子みたいな細かい分断まである。僕が取材してきた人たちは、そしてお妻様も、分断で断ち切られた尾っぽだ。
私も、「(姉)ちゃんは、全然痛がってないのに、痛がりねぇ」という母の言葉で、自分自身の生理の重さを自覚するのが遅れたひとりだ。
みんな、あの辛さを耐えているのだと思っていた。
生理中は月経血が椅子につかないよう、腰をあげて授業を受けていた。
生理時の数学のテストは、生理時以外のテストより毎回10点ほど点数が下がった。
そういうものだと思っていた。
女に生まれたかぎり、仕方のないことだと。
けど、本当はちがう。
大人になって、姉が「最近、生理痛で腰が重いんだ〜」と言ったとき、驚愕した。
そのころ私は、毎月、生理痛で七転八倒し、気を失いを繰り返していた。
一卵性の双子で遺伝子が同じはずの姉と私のあいだにさえ、とてつもない断絶がある。
「女性」とひとくくりにされると、その見えない断絶で社会から抹消されかねない人がいる。
女性の社会進出とか、確実に生理が重くない女性を基準に語られてる気がしてならない。そこを基準にして「苦しい人に自助努力」を押し付けているなら、それはもうダイバーシティとか働き方なんとかとか、奇麗ごとワードが片っ端からぶっ飛ぶ事案だ。僕が毎月「妻の布ナプキン」で手を血に染める理由(鈴木 大介) | 現代ビジネス | 講談社(4/4)
別に、フルタイムで休まず働ける人と同じだけの収入が欲しいとは思わない。
ただ、1ヶ月のうち1週間は本領発揮できない人も、それを前提とした働き方があれば働ける。
私の場合、重い上、不順で、生理時以外も痛みがあるので、週5で勤務なんてとても無理だけど‥‥‥
①人に会う約束(哲学カフェや打ち合わせなど)は2日連続まで
②県外に出るときは前日と翌日の約束は入れない
‥‥‥で、今のところ、なんとかやれてる。
(今月は4日連続働いた日があったので、いまダウンぎみ)
私にとって「てつがくやさん」は、そういう自分の身体にあった働き方の探求でもある。
他に本業をもちながらだとできないけど、「てつがくやさん」一本に絞れば、これを副業としている人よりずっとたくさんの数をこなせる。
その分実践経験も増えて、より質の高い仕事ができる。
もちろん、同じ専門性をもつフルタイムで働いている人に比べたら、収入は少ない。
でも、全く働けないよりずっといい。
そして、こういう働き方が、生理の重い人だけでなく、子育てや介護をしながら働いている人のヒントにもなるといいなぁ、と思ってる。
(ダイバーシティって、そういうことじゃないの?)
生理の話をすると、戸惑われることもよくある。
いまはフリーランスだから話さなくてもやっていけなくもないけれど、どこかに所属して一緒に働く人がいるなら、話す必要に迫られることもある。
毎月定期的に休んでいることを、言わなくても「生理休暇かな」と察してくれる人ばかりじゃないから。
生理の話をするからって、セクシュアルな話をしたいわけじゃない。
「生理が重い」は「腰痛もちで」ぐらいに受け止めて、聞いてもらえれば。
「気まずいことを聞いたなぁ」って顔をしないでくれたら、うれしい。