さて、11月のフリーデザイン岡山はプレーンな哲学カフェを、午前組のみなさんと。
(といっても、コロナがだいぶ落ち着いたおかげで、午前組、午後組という区別も曖昧になってきているよう。うれしい。)
テーマは、
「恋と尊敬はどうちがう?」
「ひとりでも楽しい?」
「孤独はいいもの?わるいもの?」
と提案されたなかから、「ひとりでも楽しい?」が選ばれました。
「“ひとりはさびしいでしょ”って決めつけられるとモヤモヤする」という話から、
「ひとりは自由で楽しい」
「病気のときは、ひとりだと不安」
「病気の種類によっては、ひとりでいるほうがラク」
などなど、ひとりに関わる様々な気持ちについての考察と‥‥‥
「家族がいないから“ひとり”なの?」
「恋人やパートナーがいないこと?」
「ひとりかどうかは、見てわかるの?」
「誰かといても、心はひとりってこともある」
などなど「“ひとり”ってどういうこと?」についての考察と‥‥‥
2つの切り口からの考察が、螺旋のように絡み合う展開。
個人的に「そういう考え方もあるのか!」と思ったのは、
「ひとりだと自由すぎる。誰かといて多少制約があるほうがおもしろい」という声。
もちろん「相手による」っていうのもあるけれど、趣味などによっても、ひとりが楽しいかどうか分かれそう。
「人生ゲームはひとりじゃ楽しめない」という例が、わかりやすくてよかったなぁ。
哲学カフェもそうですね。
それから、これも同じ人が言った言葉ですが、
「集団は強そう」という言葉も、なんだか印象に残りました。
「強そう」であって、本当に「強い」かどうかはわからない。
けど、実際に強いかどうか以上に、強そうに見えることが大事と考える人もいそう。
強そうに見えることで、攻撃を避けられることもあるしなぁ、なんて思ったり。
(対話してるときは言わなかったけれど、集団でいると、痴漢に遭いにくかったりもするもんなぁ。)
そこから、「“ひとり”ってどういうこと?」についても、
精神的な問題なのか、周囲からどう見られるかの問題なのか、
わからなくなってきました。
わからなくなってきたのだけれど、周囲からどう見られるかに関心がなかった自分が、「あれ?そっちの問題も無視できないぞ」と気づかされた対話でした。
わからなくなるときって、やっぱり何かに気づいたときなんだなぁ。
ご参加くださったみなさん、フリーデザイン岡山のみなさん、ありがとうございました。