てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「変わる/変えるには何が必要?」気候変動のおかやま学実践塾

先週末は、「気候変動のおかやま学」実践塾で哲学対話でした。
テーマは「変わる/変えるために何が必要?」。
 
前半はあえて気候変動から離れて、
  • 私、これのおかげで変われました!
  • わかっちゃいるけど、できないこと
をひとりずつ話してもらったあと、グループでの対話。
 
後半は、気候変動も交えて全体での対話。
 
  • 「人が変わることと社会が変わることは、別?」
  • 「変わった!と言えるのはどんなとき?」
  • 「本質的な変化とそうでない変化のちがいは?」
といった問いが浮かびあがってきました。
 

連続講座のなかで、これまでの回は具体的にエネルギーや交通、地産地消など具体的な問題に向き合ってきたのに、急に「いったん気候変動を離れて考えてみよう」と言われて戸惑った方もいたかもしれません。
でも、実際に対話してみて、気候変動に関心あって、変わったり変えたりする必要性を感じている人同士でも、「変わる」「変える」についてのイメージや考えが様々であることがわかったことは、無駄ではないはず。
今後、具体的に活動するヒントになればと期待しています。
 

「ほめたほうがいい?」@大元公民館

11月8日(月)は、大元公民館の子育てモヤッとニコッとカフェでした。

テーマは「ほめたほうがいい?」。

 

「子どもの自己肯定感を高めるために、なるべくほめるようにしている。」

「幼稚園、保育園でも“今日〜をがんばったので、ほめてあげてください”」と言われる。

子ども自身が「見て、見て!」とアピールしてくることも。

などなど、「ほめる育児」の話題。

 

その一方で、「ほめられるのが苦手」という人もちらほら。

苦手な理由や、「ほめる育児」への懸念として、

  • 上から目線
  • 関係性による(先生からほめられるのはOKなど)
  • 相手に何か求められるのではと警戒してしまう(何かお願いされるのかな?相手のこともほめたほうがいい?謙遜しなきゃダメ?などなど)
  • 子どもを操作・誘導してしまうのでは?
  • ほめられないと、やらない子になるのでは?(エンジンを他からもらわないといけなくなっちゃう)

などがあがりました。

 

さらに、「ほめるなんて、挨拶のようなもの。たいした意味はない」という意見や、「そんなにあれこれ考えながら、ほめたことも、ほめられたこともないなぁ。“ほめる”って、もっとふわっと捉えてた!」と驚く声も。

 

  • 「ほめる」と「評価する」や「ノセる(おだてる)」、「賞賛する」とのちがいは?
  • 「ほめる」は道具や手段?
  • ほめるのに気持ちは必要?

といった問いを経由して、

「ほめる」と「一緒に喜ぶ」のちがいから、終盤はしつけの話に至りました。

 

「一緒に喜ぶ」は子ども自身がうれしいことを一緒に喜ぶけど、やはり「ほめる」には、ゆるやかな方向づけがある。

それが、自分の価値観を子どもに押しつけることになってしまわないか?という迷いや懸念。

しかし、「何かを継続してやり続けるには、ほめるだけでは足りないのでは?」という話から、「ほめる」という方向づけは「怒る」よりもゆるやかで、応援にはなっても押しつけにはならないのでは?とも考えられる。

 

そんなことに気づかされた対話でした。

子育てのことだけでなく、対話中に「ほめられるのが苦手」と言ってた人を誰かがうっかりほめそうになって、みんなで笑いながら「いまのは大丈夫?」と確認し合ったり、現在進行形でコミュニケーションについて考えられたのも、おもしろかったなぁ。

 

ご参加くださったみなさん、大元公民館のみなさん、ありがとうございました。

『わたしのせいじゃない』@スロウな本屋

10月2日(土)の午前中は、スロウな本屋さん主催のえほん哲学カフェでした。

今回の1冊は、こちら。

 

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撮影:スロウな本屋

 

いじめに戦争、環境問題‥‥‥あなたが「わたしのせいじゃない」って言いたくなるのはどんなとき?

「はじめたのは、わたしじゃない」、「先生に言いつければいいのに」‥‥‥。教室で泣いている男の子を前に、それぞれの仕方で「わたしのせいじゃない」と訴える14人の子どもたち。その言葉をヒントに、責任について考えてみませんか?

(えほん哲学カフェの案内文より)

 

 

以下、ネタバレご容赦を。

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