- 私、これのおかげで変われました!
- わかっちゃいるけど、できないこと
- 「人が変わることと社会が変わることは、別?」
- 「変わった!と言えるのはどんなとき?」
- 「本質的な変化とそうでない変化のちがいは?」
連続講座のなかで、これまでの回は具体的にエネルギーや交通、地産地消など具体的な問題に向き合ってきたのに、急に「いったん気候変動を離れて考えてみよう」と言われて戸惑った方もいたかもしれません。
11月8日(月)は、大元公民館の子育てモヤッとニコッとカフェでした。
テーマは「ほめたほうがいい?」。
「子どもの自己肯定感を高めるために、なるべくほめるようにしている。」
「幼稚園、保育園でも“今日〜をがんばったので、ほめてあげてください”」と言われる。
子ども自身が「見て、見て!」とアピールしてくることも。
などなど、「ほめる育児」の話題。
その一方で、「ほめられるのが苦手」という人もちらほら。
苦手な理由や、「ほめる育児」への懸念として、
などがあがりました。
さらに、「ほめるなんて、挨拶のようなもの。たいした意味はない」という意見や、「そんなにあれこれ考えながら、ほめたことも、ほめられたこともないなぁ。“ほめる”って、もっとふわっと捉えてた!」と驚く声も。
といった問いを経由して、
「ほめる」と「一緒に喜ぶ」のちがいから、終盤はしつけの話に至りました。
「一緒に喜ぶ」は子ども自身がうれしいことを一緒に喜ぶけど、やはり「ほめる」には、ゆるやかな方向づけがある。
それが、自分の価値観を子どもに押しつけることになってしまわないか?という迷いや懸念。
しかし、「何かを継続してやり続けるには、ほめるだけでは足りないのでは?」という話から、「ほめる」という方向づけは「怒る」よりもゆるやかで、応援にはなっても押しつけにはならないのでは?とも考えられる。
そんなことに気づかされた対話でした。
子育てのことだけでなく、対話中に「ほめられるのが苦手」と言ってた人を誰かがうっかりほめそうになって、みんなで笑いながら「いまのは大丈夫?」と確認し合ったり、現在進行形でコミュニケーションについて考えられたのも、おもしろかったなぁ。
ご参加くださったみなさん、大元公民館のみなさん、ありがとうございました。
10月2日(土)の午前中は、スロウな本屋さん主催のえほん哲学カフェでした。
今回の1冊は、こちら。
いじめに戦争、環境問題‥‥‥あなたが「わたしのせいじゃない」って言いたくなるのはどんなとき?
「はじめたのは、わたしじゃない」、「先生に言いつければいいのに」‥‥‥。教室で泣いている男の子を前に、それぞれの仕方で「わたしのせいじゃない」と訴える14人の子どもたち。その言葉をヒントに、責任について考えてみませんか?
(えほん哲学カフェの案内文より)
以下、ネタバレご容赦を。
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