てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

オンラインセミナー:哲学者の質問レッスン

5月17日(日)は、オンラインセミナーをしてみました。

カフェフィロや尾道自由大学で朝から夕方まで丸1日かけてやってきたセミナーを、初級編、中級編、上級編と3つに分けてやってみようかと。

 

ptix.at

 

これまでは遠方の会場まで行く交通費のモトをとるために、プログラムを丸1〜2日につめこんで、1回1万円以上の受講料をもらわないとできなかった(ワークで全員の様子がみれるように参加者数を絞ってるからというのもあるけど)。

それがオンラインだと、交通費がいらないから2〜3時間に区切ってできる。

参加者もいろんなところから参加してもらえる。

そして今回は、なんと、海外からの参加者も!

 

そうはいっても、オンラインだと同時に複数グループの様子をみることはできないので、ごく少人数で。
(オンラインでも複数のグループ間を行ったり来たりはできるけど、対話ではいつなにが起こるかわからないから、やっぱり常に何が起こってるか感じられる状態でやりたい。そのほうがこっちも楽しいし。)

 

今回は初めての方を想定していましたが、「もう1度受けたい!」と受講してくださった方も‥‥‥。

たしかに、私も大学の「対話技法論演習」は毎年受けてた。

そして、授業の内容が同じでも対話の内容は変わるし、同じワークをしていても自分が成長するごとに発見がありました。

 

初級編はレクチャーとワークでしたが、中級編、上級編は、ひたすら質問ワークをやる予定。

これまで質問セミナーしたあとに必ずといっていいほど、「また質問の練習したい!」という声をいただいていたものの、交通費がかかるので練習だけの回を岡山以外で設けるのが難しかったのですが、オンラインならできるやん!とふと気づきまして。


さっそくお申し込みが入っているので、わりと早く埋まっちゃうかも???

p-question1614.peatix.com

 

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哲学者の質問レッスンといえば、哲学者の道具箱

 

オンライン哲学カフェ「気持ちを大事にするってどういうこと?」@岡山大学

オンライン哲学カフェ、オンライン授業、オンラインセミナー‥‥‥とそれらの準備に明け暮れていて、こちらがしばらくお留守になってしまいました。

 

前回の投稿の翌日、5月10日(日)の午後は、はじめてオンライン哲学カフェを開きました。

岡山大学大学院医歯薬学研究科のご依頼で、対象は、これまで岡山大学大学院の医療者対象の哲学カフェに参加してくださった方々。

いつもは医療者なら誰でもOKなのですが、今回はなんせオンラインでの初めての哲学カフェということで、対象者を哲学カフェ経験者に絞らせていただきました。

人数も、いつもは10名以上集まりますが、今回は主催者、進行役も合わせて9名と抑え目に。

 

育児サークルで哲学カフェをはじめたり、大学のお仕事をやめて「てつがくやさん」を始めたり、けっこう「無謀」と定評のある私ですが、今回は「私ってけっこう慎重派だったんだなぁ」と、しみじみ感じています。

オンラインだと、参加者の感じる違和感に気づきにくいのでは、という懸念が、わたしをそうさせているのだと思います。
あと、お金をいただいてお仕事としてやるからには、というのも当然ある。

 

はじめてのオンライン哲学カフェがどうなるかドキドキでしたが、これはこれで、なかなか楽しいものですね。

直接会って輪になると隣の人の顔が見えにくいけどzoomだと全員の顔が見えたり、途中、図を描いて説明してくださる方がいたりと、オンラインならではのよさも見つかりました。

 

内容も「気持ちを大事にするってどういうこと?」をテーマに、医療現場や日常生活のなかのちょっとした場面、文化的な差異などを例に、①気持ちと感情のちがい、②気持ちを大事にすることと相手との関係性、を中心にじっくり考えることができました。

なかには、「気持ちを大事にしすぎると、医療が成り立たたなくなる恐れもある」といった、このウィルス禍で医療現場が何を優先すべきか考えさせられる声も‥‥‥。

 

予想通り、思考を深めるという点では、場合によってはオフラインよりやりやすいかもしれません。

どこまで参加者をケアできるかについては、参加者数ややり方にもよるだろうけど、オフラインのほうがやりやすいかもしれない。
けど、いまは、こういう場を提供すること自体が、他の誰かと思考や対話を楽しみにたい人たちへの最大のケアになるだろうから、迷わずできることからやっていこう、と思いました。
 
次回開催がオンラインかオフラインになるかまだわからないけれど、もしオンラインだとしても時間は哲学カフェが初めての方も交えて楽しめそうです。

ライプニッツ係数と世界の調和

ライプニッツといえば、わたしにとっては「モナド」と「可能世界」の人なんですが、夫(弁護士)にとっては、損害賠償請求計算の人らしい。

 

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法曹界でいうところの「赤い本」(『民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準』(日弁連交通事故センター東京支部編)より

 

 

ライプニッツ係数というのがこちら。

ja.wikipedia.org

 

 

まぁ、簡単にいうと、交通事故などで障害を負った場合に、長期的にかかる介護やなんかの分の賠償金を一度にもらって、いま使わない分を銀行に預けておいたりすると、利子が発生しますよね。

それってちゃんとその都度介護費用を払えば生じないはずのお金なので、その利子分は賠償金から先に引いておきますね、っていう計算らしい。

いや、まぁ、よう知らんけど。*1

とにかく法曹界では、現在も現役バリバリに紛争解決に役立ってる計算方法だそうです。

 

で、その計算方法を考案したのが、「モナド」だとか「可能世界」だとか言ったライプニッツと同一人物であると。


実は、わたしは学生の頃から、ライプニッツの、私たちが生きるこの世界の他にも様々な世界が存在しうるという「可能世界」論が大好きなんです。

が、その一方で、その「可能世界」を神と結びつけ、現実に創られた「この世界が全ての可能世界のなかで最善のものである」と述べたことに不満も抱いておりました。*2

結局、神かよ! わたしは、この世界が最善だとは思えない!と。

 

でも、ライプニッツよ、いろんな世界がありうるけれどこの現実世界が最も調和してるはず、そうすることができるはずだと、神を信じるだけじゃなく自ら努力してたのね〜。

見直したわ。

 

このGWに夫の隣で仕事しているときに、実際にライプニッツ係数が使われている現場を初めてみることができましたが、実はこのライプニッツ係数のことを教えてもらったのは何年も前のこと。

 

夫「交通事故でライプニッツ係数っていうのを使うんやけどさぁ‥‥‥」

私「え、ライプニッツって、あのライプニッツ?」

夫「え? なんで、ライプニッツのこと知ってるん?」

私「いやいや、ライプニッツは哲学者やから!学生のときから知ってるよ〜」

 

と、まるで共通の知り合いを見つけたときのような驚きと感動。

その後もときおり会話のネタとなって、われわれ夫婦の調和に貢献してくれているのです。

 

 

【おまけ】

法曹界での「ライプニッツ、赤い本」といえば、『民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準」(日弁連交通事故センター東京支部編)だそうですが、わたしにとって「ライプニッツ、赤い本」といえば、こちら。

モナドロジー・形而上学叙説 (中公クラシックス)
 

 

*1:関西弁で「確かな情報ではないので、間違ってても許してね」という意味の言葉です。あくまで素人説明なので、間違ってたらごめんなさい。

*2:わたしが哲学ウォークで時々使う、「我々は考えうるなかで最もよい世界に生きている」というライプニッツの言葉も、この思想からきています。