てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「なぜゲームをするのか?」@まなびばippo

11月20日(水)は、倉敷のまなびばippoで初めての哲学カフェ。

 

manabibaippo.club

 

テーマは、「なぜゲームをするのか?」。

いまどんなゲームをどれぐらいしてるのかという具体的な話から、

なぜゲームがひまつぶしになるのか?

ゲームに飽きない理由は?

twitterもフォロワーを増やすゲーム?

などなど、ゆるゆると語り合いました。

 

「刺激は欲しいけど、本当に刺激的なことをする勇気がないから、ゲームで刺激をもらう」

「ゲームとは、操作して動かすもの。だとしたら、人生もゲームだと考えられるけど、いつから(何歳ぐらいから)自分で操作してるって言えるだろう?」

といった言葉が印象に残ってます。

 

あと、自分はあまりゲームしないほうだと思っていたけど、いくつかはまったゲームもあるし、ゲーセンにはまってた時期もあったことを思い出しました。

 

次回は、「モテ」について考えてみる予定。

「なぜ買ってしまうのか?」@高島公民館

11月18日(月)は高島公民館の哲学カフェ、ふたばカフェでした。

テーマは、「なぜ買ってしまうのか?」

 

テーマに惹かれたのか、ふたばカフェで過去最高参加者数を記録。

いつもは長机5つで5角形に席を並べるのですが、急遽2つ追加して7角形の配置に。

 

最初にテーマに対して、「どういうこと?買わないと生活できないから、買うのは当然じゃないの?」という疑問がでてきて、この問いには「余計なものを」が隠れていることを確認。

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その後、ストレス解消、ときめき、後悔したくないから、震災後の不安、忙しくて家にあるのを忘れちゃう、経済力の確認などなど、いろんな理由が出てきました。

 

そこから浮かび上がってきた、いくつかの問い。

  • “余計なもの”って誰にとって?その基準は?
  • 買う人の責任、売る人の責任は?
  • “買う”ってどういうこと?(ギャンブルをするのも“買う”にあたる?)

ここから、日常の買い物から経済の仕組みまで、“買う”をめぐる様々な視点が出てきました。

 

「買うって私にとっては、お金を払うのが大事。お金が減るのにうれしいものなの!」という方から、「“買う”ってどういうことか、もう少しいろんな考えを聞きたかった!」という声も‥‥‥。

たしかに、ギャンブルを“買う”とみなすかどうかも人によってちがったし、“買う”という行為がどういう行為か、まだまだいろんな考えが出てきそうです。

わたしの“買う”はどんな行為かなぁ、と考えながら帰路につきました。

 

ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。

 

次回のふたばカフェは、12月10日。

9月にわたしの体調不良で中止になったぶんの振替開催です(その節は申し訳ありませんでした。)。

テーマは、「人と比べるのは悪いこと?」。

事前申し込み不要なので、気軽にご参加ください。

「自立するってどういうこと?」@Ziba Platform

開催したその日のうちに書きかけのまま下書きボックスに入ったままでしたが‥‥‥

11月4日(月・祝)は、津山で哲学カフェでした。

テーマは前回の参加者アンケートより、「自立するってどういうこと?」。

 

www.facebook.com

 

  • 自律は自立に先立つ?
  • 自立と依存は対義語ではない
  • 自立はしたくてするもの?
  • 他者からみて自立してないように見えても、自立してることもある
  • 個人の自立と共同体の関係は?
  • 隠れた(自覚なき)依存問題

 

などなどのポイントが、経済的自立、精神的自立、そして生活の自立の例を通して浮かび上がってきました。

3種の自立のなかで今回注目が集まったのは、「生活の自立」でしょうか。

生活面では誰かに頼っているのに、自分は稼いでるから自立していると思い込んでしまう。

そうした「隠れた(自覚なき)依存」が一番生じやすいのが、生活面です。

「自立しなきゃダメ」というよりも、自立してないのに自立してると思い込むことの弊害が、いろんな形で指摘されました。

 

 ドラマで話題になったこちらの作品も、考えるヒントに‥‥‥。

 

 

個人的な一番の発見は、自立と自由の関係かな。

「自立はしなきゃいけないものではなく、したくてするもの」という説に対してでた、「自立するかどうか選べる人は恵まれてる。自立せざるをえないから自立する人もいる」という指摘。

それを聞いて、「そうか、わたしは自立したほうが自由な選択が可能になるから自立したいと思ってたけど、そうとも限らないんだ」と気づかされました。

わたしにとって自立が価値をもつのは、それによって自由になれる場合に限られる。

自由より自立が大事な人もいるかもしれないけれど、少なくともわたしにとっては、自由じゃない自立はあまり価値がない。

この気づきがあるかないかによって、人生の選択が変わってきそうなので、これは絶対、一生、覚えておこう!と思いました。

実際、この数日のあいだに夫と今後の働き方について相談する機会があり、このポイントがすごくヒントになってます。

 

その一方で、哲学の思想史にも残りそうな重要な観点も‥‥‥。

それが、個人の自立と共同体の関係です。

共同体を「1」と捉えると、「個人の自立」という観念が意味を持ちうるのかどうか?

そもそも共同体を「1」と捉えることはできるのか?

これは、自立と共生の問題を考えるうえで重要なポイントになりそう。

 

‥‥‥というのが、わたしの感想ですが、参加者のみなさんはいかがだったでしょう?

いろんなポイントを行きつ戻りつ考えたので、ここにあがってないポイントが印象に残った方もいるでしょう。

それぞれの心に残ったポイントを大事にしていただけるとうれしいです。

ご参加ありがとうございました。

 

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追伸:この日お茶菓子に出たバームクーヘンは、マルイのちょっといいもの置いてるコーナーで買えるらしいよ。

 

 

次回、Ziba Platformでの哲学カフェは、2月1日(土)。*1

テーマは「友達と仲間はどうちがう?」です。

お楽しみに。

 

*1:これまでずっと奇数月に開催してきましたが、今回はどうしても日程が合わず2月になりました。すみません。