開催したその日のうちに書きかけのまま下書きボックスに入ったままでしたが‥‥‥
11月4日(月・祝)は、津山で哲学カフェでした。
テーマは前回の参加者アンケートより、「自立するってどういうこと?」。
- 自律は自立に先立つ?
- 自立と依存は対義語ではない
- 自立はしたくてするもの?
- 他者からみて自立してないように見えても、自立してることもある
- 個人の自立と共同体の関係は?
- 隠れた(自覚なき)依存問題
などなどのポイントが、経済的自立、精神的自立、そして生活の自立の例を通して浮かび上がってきました。
3種の自立のなかで今回注目が集まったのは、「生活の自立」でしょうか。
生活面では誰かに頼っているのに、自分は稼いでるから自立していると思い込んでしまう。
そうした「隠れた(自覚なき)依存」が一番生じやすいのが、生活面です。
「自立しなきゃダメ」というよりも、自立してないのに自立してると思い込むことの弊害が、いろんな形で指摘されました。
ドラマで話題になったこちらの作品も、考えるヒントに‥‥‥。
個人的な一番の発見は、自立と自由の関係かな。
「自立はしなきゃいけないものではなく、したくてするもの」という説に対してでた、「自立するかどうか選べる人は恵まれてる。自立せざるをえないから自立する人もいる」という指摘。
それを聞いて、「そうか、わたしは自立したほうが自由な選択が可能になるから自立したいと思ってたけど、そうとも限らないんだ」と気づかされました。
わたしにとって自立が価値をもつのは、それによって自由になれる場合に限られる。
自由より自立が大事な人もいるかもしれないけれど、少なくともわたしにとっては、自由じゃない自立はあまり価値がない。
この気づきがあるかないかによって、人生の選択が変わってきそうなので、これは絶対、一生、覚えておこう!と思いました。
実際、この数日のあいだに夫と今後の働き方について相談する機会があり、このポイントがすごくヒントになってます。
その一方で、哲学の思想史にも残りそうな重要な観点も‥‥‥。
それが、個人の自立と共同体の関係です。
共同体を「1」と捉えると、「個人の自立」という観念が意味を持ちうるのかどうか?
そもそも共同体を「1」と捉えることはできるのか?
これは、自立と共生の問題を考えるうえで重要なポイントになりそう。
‥‥‥というのが、わたしの感想ですが、参加者のみなさんはいかがだったでしょう?
いろんなポイントを行きつ戻りつ考えたので、ここにあがってないポイントが印象に残った方もいるでしょう。
それぞれの心に残ったポイントを大事にしていただけるとうれしいです。
ご参加ありがとうございました。
次回、Ziba Platformでの哲学カフェは、2月1日(土)。*1
テーマは「友達と仲間はどうちがう?」です。
お楽しみに。
*1:これまでずっと奇数月に開催してきましたが、今回はどうしても日程が合わず2月になりました。すみません。