今日は神戸のグリーングラスへ。
学生時代からお世話になっている元育児サークルですが、現在はなんだろう。
子育てもひと段落した方々が、哲学カフェなどを楽しみながらリフレッシュしたり暮らしや人生について考えたり‥‥‥ゆるやかなセルフエンパワメントグループのような感じで活動しています。
保育と発達心理の専門家、寺見陽子さんが運営する一般社団法人オフィステラの一角を担っております。
(20年前から、お母さんたちを子育て後もエンパワメントするOrd Mother's Associationをつくりたいとおっしゃていた、それを実現されたのだなぁ。)
今回は、年2回あるかないかのコミュニケーション講座。
前半は、コミュニティボールをつくったあと、コミュニティボールの使い方のついでに、その奥にあるハワイの子どもの哲学のsafe community of inquiryの考えについても、ちらっとご紹介。(コミュニティボールをつくるのも、コロナ以降初かも)
後半は、できたボールをつかって「コミュニケーションはなぜ難しい?」についてみんなで考えました。(スマホを忘れたので、残念ながら写真はなし)
【前半のボールづくりでつかった質問】
- よんでほしい名前とその理由は?
- 今日の気分を色に例えると?
- うれしかったコミュニケーションは?
- コミュニケーションって難しいなと思うのはどんなとき?
【後半の対話で出てきた切り口や問い】
- 音楽やイメージの共有、贈り物などノンバーバルなコミュニケーションと言葉によるコミュニケーションのちがい
- 前提を共有しない他者との冒険的なコミュニケーションと前提を共有したツーカーなコミュニケーション
- 人はなぜ説得しようとするのか?
- 結論ありきの会議や話し合いはコミュニケーションなのか?
- 手段としてのコミュニケーションと目的としてのコミュニケーション
なかには、3年以上ぶりにお会いした方も。
「ブランクあるから、ちゃんと哲学できるかな〜」とドキドキしながらの参加だったようですが、なんのその。
「言葉は難しいし信用できない。と言いつつ、今も言葉でコミュニケーションしてるし、そうするしかないんですけども」
「みなさんの話をきいて、わかっていってるのか誤解していってるのかわからないのですけど」
などなど、みんなの話の内容(言語の心もとなさ)とまさに今起きてるコミュニケーションや私たちの置かれた状況をうまーいことリンクしてくださり、沸きました。
言葉大好き派の私も、「コミュニケーションにおける言語的な部分って、1割ぐらいかも」「だからメールやLINEは難しいんや。コミュニケーションを表情とか身振り手振りとか声色とか全部削ぎ落として、言葉のみで伝えようとするから」などなど、思った以上に言語以外のものに頼っていること、言語だけじゃ心もとなさを感じていること、非言語的なコミュニケーションへの欲求などに気づかされました。
と同時に、それを言語をとおして共有しちゃっているというありがたさも、やっぱりあるんだよなぁ。
実は、言語のありがたさと限界については、10歳のころからずっと私のなかにあるテーマ。
こんな形で、自分にとって哲学対話の原点のような場で、みなさんと一緒に考えられるなんて。
しかも、みんなで笑ったりおやつ食べたりしながら、ほっこりと。
グリーングラスのみなさん、久しぶりに参加してくださったMさん、ありがとうございました。