話が前後しますが、2月13日(火)のふたばカフェのふりかえりがまだでした。
高島公民館の女性応援講座から派生した、ひたすら哲学カフェをする講座です。
今回のテーマは「甘やかすってどういうこと?」。
私、うっかりテーマが出てきた経緯を忘れてしまっていたのですが、参加者のおひとりが、以前のふたばカフェで浮かんだ問いだったことを思い出させてくださいました。
そうそう、「自分らしさって何?」の回だったかな、「自分の好きなことをさせる」ことと「甘やかす」は同じ?違う?という疑問から生まれたテーマなんです。
こうして、前の回で出てきた疑問をテーマにしてさらに深く考えられるのは、継続的な活動ならではの良さですね。
実際に話してみて印象的だったのは、いつも親の視点からいろいろ話してくれる子育て中の方々から、ご自身が子どもだったとき親がどんなふうに接していたかという話がけっこう出てきたことです。
「弟は男の子だからと甘やかされていた」という人、
「妹は甘やかされていたのに、私は長女だから厳しく育てられた」という人、
逆に「長女だから甘やかされた」という人も。
どうもこのテーマ、そうした兄弟間の差異を思い出させるもののようです。
さらに、「自分は厳しく育てられて嫌だったから、自分は子どもを甘やかしている」という人も。
他にもいくつかの例を出しながら、一つ意見が分かれたのが、「甘やかすのは悪いことか?」という点。
「甘やかしてもよい」という考えの人は、「甘やかすことは、相手を大切にすることだ」と感じているのに対し、「甘やかすのはよくないんじゃないか」と考える人は、「甘やかす」と「相手を大切にすること」は別のことと考えていることがわかってきました。
特に後者の懸念は、甘やかされた子がどう育つかということ。与え過ぎたりあれこれ世話を焼きすぎると、自制心がなくなったり、自立できなかったりするんじゃないかと。
それに対して、ふたりのお子さんを同じように甘やかしているという方の、「同じように甘やかしてるけど、兄妹で全然反応がちがう」という話が面白かったです。
上の子はお小遣いが多すぎて余ったら親に返すのに対し、下の子は使わなかった分を貯金して好きな時に好きなものを買っている、と。
つまり、「甘やかしちゃダメなんじゃないか」という懸念の奥には、「育て方によって人は変わる」という前提があるわけだけど、どうも同じように育てたからといって同じように育つというわけでもない。
もうひとつ、「実家でほとんど家事を手伝わなかった姉が、家事をあれこれやってくれる人と結婚した」という例。
もちろん、その一方で、甘やかされて育って人の手を借りないと何もできずに困っている人の例も出ましたが‥‥‥甘やかされた人は甘やかされた人なりに、自分自身に合う関係性や環境をつくっていく力があれば、問題はないかもしれない。
そう考えると、他者からみて「そんなに甘やかして大丈夫?」と思えることでも、本人やその理解者からみると全く問題ないこともあるんだな、なんて思いました。
「甘やかしているかどうかを誰が判断するのか?」というのも、一つの論点になりそうです。
次回、高島公民館のふたばカフェは、3月19日(月)。
テーマは「ずるいって思うのはどういうとき?」です。