てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

オフラインの日

午前中は公民館で哲学カフェ、午後は表町で打ち合わせ。
こういう日は、合間にどこかのカフェで腹ごしらえ&デスクワークをします。
Wi-Fiを求めて、表町ならだいたいスタバかオンサヤの2択です。
スタバは昨日行ったので、今日はオンサヤで。
 
外で仕事をするというのは、お金がかかるものですね。
交通費もかかるし、カフェ代もかかる。自宅なら卵かけご飯で済むのですが。
オンラインと違って、視線や身振りだけで指名ができるとかオフラインならではのよさがあるし、いったん自宅に帰るなんて時間もエネルギーもないし、仕方ないよなぁ…
これは不可抗力よねぇ…
 
 
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シナモントースト(アイスのっけ)最高!!!
 
「不可抗力、不可抗力‥‥‥」と呟きながらいただきましたとさ。
(一緒に写ってる台湾烏龍茶も大好き。)
 

onsaya.com

 

コロナ禍がはじまった頃は、この店も閉まっちゃって、スタバもテイクアウトのみになって、仕事と仕事の合間を過ごせる場所がなくって困りました。

だから余計に、こういうお店があることのありがたみが身に沁みます。

「同調圧力を感じるのはどんなとき?」with ZibaPlatform

今日は、Ziba Platform主催のオンライン哲学カフェでした。

テーマは「同調圧力を感じるのはどんなとき?」。

 

 

はじめての方もたくさん集まってくださいました。

 

学校、会議、「嫁」に求められるもの、マスク、禁煙など、様々な同調圧力を感じた経験を聞いていると、改めて「同調圧力って、やっぱりないほうがいいものなのかな」と思う一方で、それぞれが思い描いている同調圧力が同じかどうかわからなくなって、こんなふうに尋ねてました。

 

マスクをつけることに同調圧力を感じる?感じない?

 

すると、感じる人と感じない人、半々に分かれる結果に。

同調圧力を感じている人からは、「感じない人がいるの!?半分も!?」という驚きの声も。

もともとマスクをつけることに抵抗がない人や、自衛のためにでマスクをつけることを選択している人は、同調圧力を感じていないこと。

さらには、コロナ禍以前は、「むしろ“夏にマスクをつけるのは変”と思われそうで、マスクをつけたくてもつけられなかった」なんて、逆方向の同調圧力が存在していたことも判明し、どよめきが起こります。

ここが、今回の対話の第1のハイライトシーンだったかもしれません。

 

ここから、マスクに関する話題で盛り上がり、様々な方向に考察が進みます。

  • 同調圧力でそうしているのか、本人の意志でそうしているのかは、本人以外には予想以上にわかりにくい。(本人の意志でしているのに、周囲の人には同調圧力でそうしていると見えることがある)
  • 意図せず、周囲の人に同調圧力を感じさせてしまうことがある。(マスクをつけたいからつけているだけでも、周囲の人に「みんながつけてるからつけなきゃ」と思わせてしまうことがある)

といったことがわかる一方で、同調圧力を生じさせるものが何かについては、なかなか「これ」というふうに絞りきれず。

他の例も併せて、権力、マジョリティ、慣習、世間、正しさ、自分で判断しないこと、など。

などなど様々な候補が出てきて、どれもそれぞれに説得力があったし、今思い返すと、いくつかの要素が複合的に絡み合って、より強固な同調圧力を形成することもありそうです。

終盤に「ルールと同調圧力はどうちがうんだろう?」という私の疑問に、「どちらも“圧力”であること、自分のしたくないことをさせられることには変わりない」と答えてくださった方がいて、「なるほど、圧力を生じさせるものというのはたくさんあるのだなぁ」と、こんなにたくさんの要素が挙がったことに納得しました。

私は、ルールと同調圧力はちがうのではと思っていたけれど、たしかに不条理に感じるルールも存在するし、そこで生じていることは同調圧力とそう変わらないかも?

不条理に従わせられていると感じさせるものが、ルールの場合もあれば、権力のときもあるのかもしれません。

 

Zibaのこじまさんによる「同調圧力の及ぶ箱(範囲)というのがあるのでは」という指摘と併せて、なにか重要なヒントになりそうな気がします。

 

ご参加くださったみなさん、Ziba Platformのみなさん、ありがとうございました。

 

 

「癒し癒されるとは?」@操南公民館

昨日は、岡山市立操山公民館へ。

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以前、別の場所で私が進行する哲学カフェに継続して参加してくださっていた方が、「哲学カフェで癒されたので」ということで、夜の連続講座「心と身体の癒し講座」の中に入れてくださいました。

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(ドリンク提供できないので「哲学カフェ」ではなく「哲学サロン」に)

 

テーマはずばり、「癒し癒されるとは?」。

 

果たして哲学の時間が癒しの時間となるのか、初めての方が多いなか楽しんでいただけるか、ドキドキでしたが、なかなかの盛り上がりを見せてくださいました。

 

「癒しを求めていろんな趣味をしている」という人もいれば、「癒されるってどういうことか、ピンとこない」という人も。

趣味、旅行、温泉、おしゃべり、人や動物とのふれあい…具体的な体験をたくさんあげながら、

 

  • リラックスと癒しは同じ?ちがう?
  • 癒しと幸せの関係は?
  • 「癒される」というように受け身で感じるもの。誰かが何かに癒されるのでは
  • 何に癒されるかは人によって異なるし、同じ人でもコンディションによる
  • 癒しはふってくるもの。狙いすぎるとふってこない。
  • 癒しは持続しない

などなど。

 

最初は様子見の姿勢をみせていた人も、みなさんのお話を聞くうちに哲学心に火がついたのか、たまらず話し出す瞬間があってよかったなぁ。

そこから、対話の一体感やドライブ感が一気に増した気がします。

 

あれこれ話したけれど、

「何に癒しを感じるかは人によっても違うし、コンディションによっても変わる」

「ある人が癒しを感じるものが、別の誰かのストレスになることもある」

といった指摘は、今後この講座の大事なポイントにもなりそう。

 

私は私で、参加者の方から時々いただく「哲学カフェにはセラピー効果がある」についても、あらためて考えたいと思いました。

 

「思ってた哲学のイメージとだいぶ違った」と驚かれる方もいるぐらい、等身大で笑い声の多い哲学サロンでした。

公民館職員さんの「哲学って堅そう」イメージも、みなさんの笑い声のおかげで吹き飛んで、ありがたや。

 

公民館とは相性がいいと前から感じていましたが、夜の公民館で哲学サロンも、おすすめです。

 

素敵な時間をありがとうございました。