てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

大人への階段@山陽新聞

3月31日の山陽新聞朝刊「大人への階段」というコーナーにコラムを書かせていただきました。

 

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デジタル版のほうにも載るかなと思ってタイミングをうかがってたんですが、載る気配がないので、このタイミングでシェアしておきます。

 

4月に成人年齢が18歳に引き下げられるということで、成人になる方向けにアドバイスをということで、あまり公の場でちゃんと言葉にしたことのなかったことを言葉にしてみました。

前月の山口舞さん(元岡山シーガルズ)のことはみなさん知ってるだろうけど、私のことを知ってる人は少ないだろうので、自己紹介がてら「てつがくやさん」の内容と、そこに至った理由を。

そして書きながら、哲学の「普通にとらわれずに」という態度が、自分の人生も救ってくれてたのだなぁ、気づかされる。

 

字数に収まらず書くのは断念しましたが、書く途中で、「大人になることと成人になることは同じか?」とか、「責任」に思いを巡らせたりもしました。

 

保護者の許可が必要なうちは保護者が責任をとれる範囲でしか動けないけれど、自分で責任をとれるようになったら、思いきったチャレンジもできるかもしれない。

親が責任をとれる範囲より自分が責任をとれる範囲のほうが広い可能性だってある。

突然「君たちは18歳から成人ね」なんて言われて戸惑う方もいるだろうけど、成人になること、自分で責任をもてるということのポジティブな側面にも気づいてもらえるといいな。

 

大人になるって楽しいよ。

そう、伝えたいです。

 

「生きづらさを感じるのはどんなとき?」@高島公民館

3月22日は、高島公民館でふたばトーク(哲学カフェ)でした。

1月、2月とコロナの影響でとんでしまって、久しぶりの回でしたが、はじめましての方もちらほら。

 

テーマは「生きづらいと感じるのはどんなとき?」。

人間関係、社会と世間の違い、マジョリティとマイノリティ、内なる「ねばならぬ」、孤独、張り詰めた状態、自立といったキーワードを渡り歩く対話となりました。

春休みだからでしょうか。

中学生の参加者も。

彼女の「社会ってなに?」という問いかけが、今回の対話のハイライトの一つと言っていいでしょう。

 

「生きづらさ」を招いているのは社会なのか、世間なのか。

社会は自分の外にあるもの? それとも自分も社会の一部?

内なる「ねばならぬ」への影響を与える社会や制度

社会には多様な人がいるのに、なぜマジョリティの声が社会の声かのように感じてしまうのか?

孤独を救う小さな社会

自立の足をひっぱる制度

 

生きづらさと社会の関係についてあれこれ語り合うなかで気づかされたのは、普段を意識していない「社会」が、生きづらさを感じたときに立ち現れてくるのでは、ということ。

終盤に「女性だから」という偏見や思い込みによる生きづらさが話題にあがりましたが、「いまある現実社会のなかで、できることを見つける」ことの力を説く声に説得力を感じる一方で、生きづらさを感じながら社会を変えようとしてきた人たちがいることも、忘れないでいたいなと思いました。

 

 

【今後の予定】

5月は「子どもと大人は対等?」

6月は「なぜ認められたいのか?」

1、2月にコロナの影響でスキップされてしまったテーマで開催する予定です。

詳しい日程は、公民館だよりなどをご覧ください。

 

『クロストークから始める総合診療』(金芳堂)

岡山大学で一緒に医療者のための哲学を開いている小比賀美香子さん(医師)と、「哲学対話で医師の当たり前を問い直す」という対談をしました。

こちらに、掲載されています。

 

 

対談してるときは気づかなかったけど、がっつり医療の本だ‥‥‥。

けど「臨床教育とは」とか、「アカデミアとクリニクル」とか、「アートが医師になぜ必要か?」、などなど、他領域から医療教育に関わる人たちにとっても興味深い内容もちらほら。

 

哲学対話についても、小比賀さんが医師の視点からどう感じているか、本音で語ってくれてます。

対話をとおして、医療倫理とは異なる方向から、医療者をサポートするような哲学ができるかもしれない。

そんな希望を感じながらやってます。

 

ご関心のある方は、ぜひ手に取ってみてください。