てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

岡山市のパートナーシップ制度〜パブコメのおかげ?だったらいいな〜

みなさん、パブリックコメントって、書いたことありますか?

 

パブリックコメント、通称「パブコメ」とは、公的な機関が規則などを制定しようとする際に、広く意見や情報、改善案を求める手続きのことだそうです。

 

実はわたし、ヨノナカ実習室のスミさんからのお誘いで、書いたことがあるんです。

春に、ちょうど以前から関心のあったパートナーシップ制度に関するパブリックコメントを在住地である岡山市で募集していたので、スミさんと連名で作成し提出しました。

 

詳しくは、ヨノナカ実習室のブログをどうぞ。

yononaka-jsh.hatenablog.com

 

yononaka-jsh.hatenablog.com

 

 

自治体のパートナーシップ制度の内容を調べあげ、実現可能な提案をできるよう、がんばりました。

 

しかし、その後岡山市が公表した回答は、正直なところ「それってちゃんと答えになってる?」「ちゃんと検討してくれた?」と疑いたくなる部分もあり、がっかりして、こちらのブログではそのことに触れる気になれずにいました。

 

が、先日、一緒に作成したスミさんからうれしい情報が。

私たちがパブリックコメントで提案していた、市営住宅の入居申込や同居申請、市営墓地の使用承継、保育施設等の利用申込などが、パートナーシップ宣誓書受領証の提示で可能となるそうです!

 

www.city.okayama.jp

 

 

私は現在は結婚していますが、3年ほど事実婚状態の時期があり、そのときは法的にパートナーとの関係が保証されていないことに不安を感じることもありました。

(ふたりとも元気なら互いの意思表明だけでなんとかなることも多いですが、もし一方が意識不明なんてことになったら、ふたりの関係を証明するものがないので。)

 

そのため、同性パートナーのいる方も本人たちが望めば結婚できるようになればいいのに、と思っています。

しかし、同性結婚が法的に認められるのはまだ先になりそうなので、それまでのつなぎとして、せめてパートナーシップ制度だけでもという思いがありました。

 

せっかくのパートナーシップ制度があっても、使えない制度なら意味がないので、市がちゃんと効力のあるものにしようとする姿勢をみせてくれてよかったです。

 

これがパブコメを出したおかげかどうかはわからないけれど、「パブコメなんか出しても無駄でしょ」というトラウマは避けられそうなのも、ほっとしました。

 

パブコメに関心のある方は、ヨノナカ実習室で「はじめてのパブリックコメント」という講座があるので、そちらもチェックしてみてください。

 

yononaka-jsh.hatenablog.com

哲学的思考が、だれの前で、だれにたいしてなされるものか〜臨床哲学における《メタ》

昨日、コロナウィルス感染拡大の影響で対応を迫られることが、それぞれの対話活動を、何のために、どういう場所で、どういう方を対象に行うのかを確認する機会にもなっているいるという記事を書きました。

 

matsukawaeri.hatenablog.com

 

今日、たまたま開いた本ほたまたま開いたページに、ぴったりの言葉がありました。

 

ここでわたしたちが考えてみなければならないのは、しばしば指摘されるような哲学の失力は、哲学的思考が、だれの前で、だれに対してなされるものかという問いを、じぶんに向かって立てなくなったことに起因するのではないかということだ。哲学を、《反省》という、他者が不在の場所ではなく、他者との関係という場に置き直してみることだ。

 (鷲田清一『「聴く」ことの力』p.29)

 

“哲学はどこまでも《メタ》という次元を含む。

なにものかへの問いは、その問いそのものへの問いを自己言及的に含んでいなければならない。 

鷲田清一『「聴く」ことの力』p.29)

 

それへの問いが哲学の中枢神経なのだ。その問題を問わないで、いきなり街に出るのはグロテスクである。

 (鷲田清一『「聴く」ことの力』p.29)

 

 

引用元は、こちら。私の哲学バイブル(のうちのひとつ)です。

「聴く」ことの力

「聴く」ことの力

 

 

対話する哲学教室の延期と、いまこの状況でてつがくやさんが思うこと

すでにお申し込みいただいた方には連絡していたので、こちらに書いてなかったけれど、昨日ヨノナカ実習室での開催を予定していた“対話する哲学教室”は、コロナウィルスの感染拡大状況を考慮して、延期させていただだきました。

 

一瞬、オンライン開催に切り替えるか?というのも考えたんだけど、前回ご参加いただいた方の様子をみると、オンラインより直接やりとりするほうが合ってる方が多そうだったので、今回は延期という選択をとりました。

 

岡山市内で感染が拡大しているといっても、岡山市も広いし、情報も少ない状況*1のなかでどうするか、判断が難しい面もあります。

同じ岡山市内での対話活動でも、地域も、会場のタイプも、対象も、それぞれ全然ちがう。

 

岡山市の中心近くにあるけれど施設内で施設の人だけを対象にしているもの、

誰でも出入り可能だけど地域的に参加者がある程度限られていたり、社会的距離社がとりやすく換気もしやすい会場のもの。

出入りする人はある程度制限されているものの、やや社会的距離がとりにくいかなぁというもの。

オンライン開催OKな方が対象で、オンライン開催に切り替えても活動の趣旨が損なわれないもの。

オンライン開催だと対象としてる方に合わなかったり、活動の趣旨が変わってしまうもの。

 

 

それぞれの活動で何を大事にしたいのか、

それぞれの譲れるポイントと譲れないポイントはなにか、

それぞれの主催者の方と改めて整理・確認する機会にもなっています。

 

だから、

「松川さん、あそこではやってたのに、なんでこっちは延期なの?」

「あっちはオンラインに切り替えたのに、なんでここは切り替えないの?」

なんて疑問もあるかもしれませんが、ご理解いただければ幸いです。

 

 

もし、わたしがひとりでわたしだけのためにやってるものなら、こうはならない。

一律の対応になったでしょう。

でも、どれもこれもわたしひとりでやってるわけでもないし、わたしだけのためにやっているわけでもない。

活動ごとに異なる対応が必要なのは、これらの活動が独りよがりなものではないという証拠なのだわ。

そう思うと、大変だけど、うれしくもあるのです。

 

*1:感染者数はわかるが、どこで感染者が出たのかの情報はあったりなかったり