YouTubeを散歩中に見つけた動画。
ときに騒ぐ生徒に対する先生のように、ときにユーモアを交えながら、野次を諌める。
その根底にある、政治や議会はこうあるべきという信念。
意見の違いこそ、政治の本質です。 (ジョン・バーコウ)
人々の合意が簡単に得られないときこそ、まさに議会が意味をもつのです。(ジョン・バーコウ)
哲学カフェの進行も、信念からぶれないように。
YouTubeを散歩中に見つけた動画。
ときに騒ぐ生徒に対する先生のように、ときにユーモアを交えながら、野次を諌める。
その根底にある、政治や議会はこうあるべきという信念。
意見の違いこそ、政治の本質です。 (ジョン・バーコウ)
人々の合意が簡単に得られないときこそ、まさに議会が意味をもつのです。(ジョン・バーコウ)
哲学カフェの進行も、信念からぶれないように。
10月1日(木)は、母校の大阪大学からのご依頼。
人間科学研究科・共生学系の学生・教員のみなさんと、zoomで「対話と共生」について考えました。
最初の1時間は、哲学対話の実践などから「対等な対話は(どうやって)実現するか?」というお題でお話させていただき、休憩をはさんで、後半は「共生学は“誰”のものか?」というテーマで、対話しました。
「マイノリティとマジョリティ」、「当事者性」、「専門性」などをキーワードに、
「“誰ものか”と“誰のためか”は同じ?」
「共生学における当事者性とは?」
「“マイノリティ性”や“当事者性”の“性”の意味とは?」
「学問における専門性とは?」
「共生とは?」
といったと問いをめぐって対話が展開。
“誰のためか?”でも“何のためか?”でもない共生学のあり方、当事者性をもつ人が共生学を行う意味、専門家として共生学を行う意味などが語られました。
抽象的なテーマに思われるかもしれませんが、共生学の現場で共生学について考えるという、現場感あふれる対話。
わたしの専門である臨床哲学と重なりそうな部分も多く、かなり刺激的な内容となりました。
阪大在籍16年間ずっと憧れながらもキャンパスが異なるために縁遠かった人間科学研究科*1のみなさんと、いまになってこんなふうに関われるなんて。
縁あってお誘いくださった方、ご参加くださったみなさんに感謝です。
*1:実は大学受験のとき最後まで文学部とどちらを受験するか迷ったのですが、文学部のほうが倍率が低かったので文学部を受験しました。
9月30日(水)は、就労移行支援施設、フリーデザイン岡山へ。
哲学カフェをしてきました。
コロナの影響で、まだオープンな開催はできず内部の方(+見学の方)限定ですが、10名程の方が参加してくださいました。
こんなに集まったのは久しぶりでは? うれしい!
テーマは当日、参加者から募るスタイル。
今回は、多数決の結果「幸せってなに?」に決定。
などなど、それぞれの体験からいろんな幸せとともに、「幸せと自己満足は同じ?」や「幸せを感じられるのはどんなとき?」といった問いが浮かび上がってきました。
この「いろんな」が、幸せそのものの多様性から生じるものなのか、幸せ観の多様性から生じるものなのかは、いま一歩確認しきれず‥‥‥。
しかし、同じ出来事や状態であっても幸せと感じられる場合と感じられない場合があるということは、共通していたような気がします。
なかには、「あー、そういう幸せもあるのか!」と思うものも。
それは、私にとって未学習の幸せなのかもしれません。
今後、学習して感じられるようになるかどうか、楽しみです。
参加者のみなさん=フリーデザインのみなさん、ありがとうございました。
今回とりあげられなかった「雑談って必要?」は来月のコミュニケーション・カフェで、
そしてここ何回かテーマ候補2位が続いている「生きる(意味)とはなにか?」は、再来月の哲学カフェでとりあげたいなと考えています。