2022-04-10 エピステーメーとか、パレーシアとか 考えたこと 自分の外にある正解を探そうとする人を見て、「いやいや、あなたの答えはあなたの中にあるのでは?」ともどかしく思う一方で、ドクサ(憶見、思い込み)をふるい分けようとする。 二つの真への向き合い方が自分のなかでどう折り合っているのか、気になる今日この頃。 そして、また、フーコーに出会ってしまう。 (覚書です。圧倒的説明不足なのはわかっているけれど、まだ説明できるほど熟成できていないので、いつか言葉になるのを待っていただければ。)