今日は、フリーデザイン岡山へ。
テーマは当日募集の哲学カフェをしてきました。
提案されたなかから「成長するのはどんなとき?」に決定し、
「成長したいのはどんなとき?」
「成長は目的?手段?」
「成長ってなに?」
「成長したって誰が判断するの?」
‥‥‥と問いを接木のようにして考える時間。
さらに、そのあとすぐ、岡山理科大付属中学校・高等学校へ。
先生方にハワイ流哲学対話を体験していただきました。
テーマは、「コミュニケーションはなぜ難しい?」。
「コミュニケーション」の範囲が人によってちがって驚いたり、
意外な一面が垣間見えたり???
理大付属のほうは初めてでドキドキでしたが、思った以上にみなさんいい表情で対話されてて、ほっとしました。
生徒に哲学対話を!という学校は増えてきたけれど、教員同士の対話を!とお誘いくださる学校はまだまだめずらしく、そんな学校がうちのすぐ近所(門までなら徒歩12分)にある幸せを噛みしめました。
なんで、近所にそういう学校や施設があると、こんなにうれしいんだろう?
もちろん、遠方へお招きいただくのも大変光栄でうれしいことなのですが、ご近所さんでの哲学対話はそれとはまたちがううれしさがあるなぁ。
なんとなく、自分の暮らすまちに哲学フレンドリーな人がいると思うと、安心して暮らせるというか、息がしやすい。
「そんなに深く考えなくても」「それ考えてなんになるの?」
そんなふうに言われることが、考えようとして考えているわけじゃない、息をするように哲学したいわたしには息苦しく、子どもの頃は隠れてこっそり哲学してたので、哲学フレンドリーな人たちがご近所にいて、哲学癖を隠さず生きられるって、本当にありがたいことなのです。
もちろん、わたしが体育苦手なように、「わたし、哲学すんの苦手なんだよね〜」という人もいていいけれど、そういう会話が成り立つぐらいには、哲学という営みの存在が馴染んでくれるとうれしいなぁ。
たぶん、それが、わたしが“てつがくやさん”をするモチベーションの大部分を占めている気がする。