最近、ちょっぴりフェミづいてます。
どうしたら「女だから」という理由でふりかかる、理不尽でマイナスな体験をさせずに子育てできる?(イジェアウェレへ: フェミニスト宣言、15の提案)
という言葉に惹かれ、スロウな本屋さんで『イジェアウェレへ』を読む読書会に参加し始めたほか‥‥‥
その読書会で話題に出たこちらを、寝付けぬ昨夜、一気に読了。
久しぶりに小説を読みました。
主人公の母、オ・ミスクが頼もしくて好き。
「そうだとも、そうだとも! 半分は母さんのおかげだ!これからの崇め奉りますよ、オ・ミスク女史!」
「半分とは呆れたわね。少なくとも七対三でしょ? 私が七、あなたが三」
伊藤順子さんの解説も、読んでよかった!
そして、先月はちょっと骨太なこちらを。
「今年出たばかりの重要な本」について、目の前にいる女性がその著者本人とは気づかず(なんと、何度も指摘されているにもかかわらず、だ!)説明を続ける男の話が滑稽で読み始めたら、軸のぶれないままレイプと殺人の話に接続されてびっくり。
しかし、たしかに、
ほんどの女性や少女たちは、レイプの危険を考えて行動を制限する。レイプの恐怖に怯えながら生きている。
わたしもそういう少女や女性のひとりでした。
「信じてもらうということは、基本的なサバイバル・ツールだ」「解釈することは対象を貧困化することである」などなど、書き留めておきたい言葉がいっぱいで、最後はほんのり希望も感じられる一冊。
学生時代からジェンダーやセクシュアリティの問題を研究テーマにしてきたとはいえ、これまではセクシュアル・マイノリティやクィアの問題のほうに関心が偏っていて、フェミニズム方面はそのための基礎知識として読むって感じでした。
フェミニズムの問題提起より、セクシュアル・マイノリティの問題提起のほうが、自分の問題関心に近かったから。
けど、自分が「女」であるという理由で被ってきた理不尽な出来事に、ようやく向き合えるようになったのかな。
それとも、自分がしっくりくるフェミニストの言葉に出会えたからかしら。*1
今更ながら、フェミニストたちの言葉が、とてもリアルに、自分事として響くのを感じます。