たまに哲学カフェについて「哲学について語る場」と紹介されることがあります。
そのたびに、
「ちがいます!
哲学カフェは、哲学について語る場ではなく、〈哲学する〉場です。」
と訂正するわたし。
「サッカーについて語る場」と「サッカーする場」じゃ、だいぶちがいますよね?
それと同じです。
なんで間違えられちゃうんだろう?
その人にとっては、自分自身が哲学することがイメージしにくいのかな?
もしかしたら、「哲学する」より「哲学について語る」ほうが易しいと思ってるのかもしれない。
でも、わたしの感覚では、「哲学する」より「哲学について語る」ほうが難しい。
哲学の知識や経験がないと難しい気がする。
なんとなく。
「なんとなくってなんだよ!」
「だから哲学について語るのは難しいって言ってるじゃん!」
というツッコミ合いが、頭の中でぐるぐる‥‥‥。