てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「わかり合うのはなぜ難しい?」きらりの集い in しまね

 昨日1月13日(日)は、きらりの集い2019 in しまねに参加してきました。

 

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往路で蒜山SAからみた大山がきれいでした〜

 

きらりの集いは、精神障がいをもつ当事者とそ の支援者が協働でつくるイベントで、経験の分かち合いによる学びを大切にするピア サポートや、自分らしい生き方を探求するリカバリーをテーマとした全国規模のイベ ントです。障がいの有無を越え、誰にとっても可能性に開かれた社会を創造する全国 的なムーブメントとして、福岡、鹿児島、佐賀、広島、名古屋、沖縄と思いのバトン が引き継がれてきました。

誰もがその人固有の魅力があり、他者と出会うことで、その可能性は“きらり”と 光る。私たちは、このイベントをつくる過程を通じて、社会的役割を脱ぎ、素のまま の自分で他者と出会う場、つまり温泉のような場をコミュニティの中に拓くことを目 指しています。

(きらりの集い2019 in しまね  大会長 原敬きらりの集い 2019 in しまね - ページ情報 | Facebook

 

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リトルプラスの哲学カフェでお世話になっているChaChaさんが大会長とお知り合いらしく、「哲学カフェやってみない?」とお誘いいただきました。

 

little-plus.jp

 

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きらりの集い2019 in しまね

 

「わかり合うのはなぜ難しい?」というテーマに関心があって参加してくださった方もいれば、哲学カフェに関心があって参加してくださった方も。

たくさんの分科会があるなか、約20名もの方がご参加くださって‥‥‥

 

わかり合うことはできる?できない?

わかり合うのに必要なのは、同じ経験?想像力?

わかり合えなくてもいい?わかり合いたい?わかってほしい?わかりたい?

相手とわかり合う以前に、自分とわかり合えてる?

そもそも、わかり合う、わかるってどういうこと?

いつ、わかり合えた!って判断する?

誤解とは?

 

‥‥‥などなどを巡って、対話と思考が繰り広げられ、「わからないは安全装置」、「(お節介は)想いの物質化」など、いくつもの名言が飛び出す回となりました。

 

みなさんのお話をうかがい、一緒に考えながら一番印象に残ったのは、わかり合いたいという優しさもあれば、わかり合えなくていいという優しさもあるのだなぁ、ということ。

最初に「わかり合うことは不可能」という意見を何人かから聞いた時は、(冷淡というより冷静という意味で)クールだなぁと感じました。

が、「わかり合えたらうれしい」「大切な人だからわかりたい」という言葉に共感しながらも、「内面がわからなくても、行動で大事し合うことはできる」、「大切な人だからわかりたいけど、わかろうとしてやったことが相手の負担になってしまうこともある」ことを思うと、「わかり合うことは不可能だ」と割り切ることから始まる優しさ、あたたかさがあるのだなぁと。

 

あともうひとつ、(哲学カフェでは言葉にしそびれましたが)自分で自分の体験を話しながら、相手が期待どおりに動いてくれたら「わかってくれた」と感じ、期待とちがうことをされたら「わかってくれない」と感じる、自分の勝手さも自覚することができました。

自分でも自分のことをちゃんとわかってるとは限らない。とすると、「相手が誤解してる」と思うときも、相手ではなくて自分が間違っていたり、どちらかが間違っているのではなく両者のあいだにズレが生じているだけの可能性もある。

言葉にしてしまうと当たり前のようで、日々の生活のなかで忘れがちなことでもあるので、気をつけようと思いました。

「自分も自分のことわかってるとは限らないぞ」というのがポイントでしょうか。

 

最後にChaChaさんがコメントくださったように、みんなそれぞれ、誰かのことを思い浮かべ、思い出しながらご参加くださったのではと思います。

ご発言くださった方も、ひたすら耳を傾けてくださった方も、ありがとうございました。

 

終了後「難しいですね!」と何人かから声をかけていただきました。

そう、「てつがく」はいつも難しい。難しくて正解なんです。

だって、難しいって感じるってことは、本当にちゃんと考えてるってことだから。

‥‥‥って、ちゃんと哲学カフェの時間に言葉にしてお伝えしておけばよかったかなぁ。

 

各地でピアサポートや居場所づくりに関わっている方とお話したり(岡山でお噂はうかがいつつも、お会いできていなかった方ともお会いできました!)、WRAPやリカバリーカレッジといった取り組みについて学べたりと、1日目の午後しか参加できませんでしたが充実した時間でした。

ご参加くださったみなさん、きらりの集い in しねまの運営委員、ボランティアスタッフのみなさま、ありがとうございました。

 

1月の参加者募集中

更新が滞っていたせいで、今月のイベント案内も満足にできていませんでした。

ごめんなさいm(_ _)m

遅ればせながら‥‥‥

 

 

 

1/17(火)「人生で大切にしていること」@岡山市立高島公民館

岡山市立高島公民館で平日午前中に開催している哲学カフェ。

「みんなが人生で大切にしていることを聞いてみたい!」と地域の人が提案してくれたテーマ。

他の人の大切にしていることを聞いたり、自分が大切にしていることを言葉にしてみると、なにか気づきがあるかも!?

 

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1/16(水)家族のためのがんカフェ@ゆうあいセンター

がん患者さんのご家族限定のがんカフェです。

「第2の患者」とも呼ばれる、がん患者の家族で集い、家族ならではの悩みや不安、思い、そして工夫について話し合ってみませんか?

 

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1/26(土)「『つながり』と『しがらみ』」@Ziba platform

岡山県津山市で「集う、つながる、つくりだす」をコンセプトにつくられたカフェ&コミュニティスペース、Ziba platformで奇数月に開催している哲学カフェ。

年末年始、「つながり」や「しがらみ」を感じた方も多いのでは?「つながり」と「しがらみ」は同じ?ちがう?それとも???

美味しいお茶とお菓子をいただきながら、ぜひ一緒に考えましょう♪

 

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Ziba platformでの哲学カフェ

 

 お詫び:宝湯で考える

なお、1月9日(水)に宝泉相生湯で開催された哲学カフェ「宝湯で考える」については、こちらにレポートをアップしています。

 

matsukawaeri.hatenablog.com

 

本来なら事前にこちらでご案内すべきところ、事後報告になってしまい申し訳ありません。

「宝湯で考える」は、今後も毎月第2水曜日の19時から開催していく予定です。

 お近くの方は、ぜひお風呂のついでにお立ち寄りください。

宝湯で考える「占い、信じる?」

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

年末年始バタバタしていたのと、ちょっぴり疲れが出たのとで、すっかりご無沙汰してしまいました。

ごめんなさい。

 

12月のイベントもいくつか報告しなければならないんですが、まだ回復途中なので、順番は前後してしまいますが、気軽に書ける先日1月9日(水)に開いた哲学カフェのご報告を先にさせてください。

 

毎月第2水曜日に開催してきた「ヒバリで考える」ですが、会場のヒバリ照ラスの1階がリニューアル工事中ということで、会場が変わりました。

地元の方に「宝湯」と呼ばれ愛されている銭湯、宝泉相生湯の2階をお借りすることに。

それに伴い、イベント名も「宝湯で考える」にリニューアルしました。

  

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テーマは新年らしく、「占い、信じますか?」にしてみました。 

占いを信じる人、信じない人、「信じるというより使う」という人、「信じる/信じないというより関心がない」という人‥‥‥。

いろんな参加者がいい塩梅で集まってくださって、

 

占いを信じる理由、信じない(信じなくなった)理由は?

「占いを使う」ってどういうこと?

占いの種類による違いは?

他人に占ってもらうのと、自分で占うのと、おみくじみたいに人を介さない占いは違う?

 

‥‥‥などなど盛り上がります。

 

そんななかでも、前半わたしのツボだったのが、「関心がない」派の二人が、釣り雑誌や競馬雑誌を読んでるという事実。

「そもそも占いを見る機会もない。釣り雑誌にも載ってないし!」
「競馬雑誌にも載ってない!」

ということでしたが、思わず、「でも、釣りも競馬も占いに似てるやん!?」って言っちゃいました。

そう感じたのは、それまでに、みなさんから占いの神秘性や「(ある種の)占いはデータの集積である」という指摘を聞いていたから。

集積されたデータを分析して予想するところと、データだけでは100%予想できない当たり外れがあるところが似てるなぁ、と思いました。

 

もうひとつ、後半けっこう盛り上がったのが、「占いと医療は似てる」という話。

占いも病院も、何か悩みや迷いがある人がいくところだよね、と。

特に占い師に占ってほしいときの、「誰か二話を聞いてほしい」「誰かに『あなたはこういう人だ』と規定してほしい」という気持ちが、「医者に『あなたはこういう病気です』と言われると安心するのと似てる」という指摘。

それについて、「カウンセリングと似てるね」という声も。

最後のほうに、それまで黙ってみなさんの話を聞いていた占い師の「わたしは、その人が無意識に思っていることを引き出して、背中を押してあげるつもりで占っている」という話と合わせて、「たしかに、自分自身が見ないようにしている自分に、自分ひとりで向き合うのは怖い。一緒に受け止めてくれる人がほしいときもあるな」なんて感じました。

 

他にも、「血液型占いを信じてたのに、大人になってから違う血液型だと判明した!」「占いが政治に大きな役割を果たしたのはなぜ?」、「卑弥呼の時代と現代の占いのあり方の違いは?」、「ノストラダムスの大予言、信じてないと言いつつ緊張してた」などなど、興味深い話がたくさん出てきて、あっという間の2時間でした。

 

 

次回の「宝湯で考える」は、2月13日(水)。

なにか、バレンタインにちなんだテーマをと考えております。

19時からゆるゆる始めますが、お仕事帰りで途中からの参加も大歓迎。

哲学カフェのついでにひと風呂浴びていくもよし、お風呂のついでに哲学カフェに参加していくもよし。

ぶらりとお越しいただければ幸いです。

 

そうそう、会場は土足禁止ですが床が冷たいです。

こちらでもスリッパをご用意していますが、愛用のスリッパをご持参いただけると助かります(^人^)