まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

「老いと成熟」@Ziba platform

最近、書き仕事やウェブの編集が楽しくて、ブログでの活動報告をサボりがち‥‥‥すみません。

 

昨日9月17日(月)は、敬老の日

ということで、津山のZiba platformさんで「老いと成熟」をテーマに哲学カフェをしてきました。

 

哲学カフェ in Ziba platform 『老いと成熟』

 

敬老の日に便乗しちゃいましたが、前から度々気になってたテーマなんです。

事前申し込みが少なめで大丈夫かな?と思ったりもしましたが、飛び入り参加してくださった方もいて人数もいい感じになったし、最初の発言から前のめりしちゃうほど興味深くて大満足。

 

  • 自分のことを「おばさん」だとか「おじいさん」だとか言えないのはなぜ?
  • 今の62歳は昔の62歳より若い?
  • 運動会の親子リレーで、何人ものお父さんたちが転んじゃうのはなぜ?
  • 実年齢より若くみえる人とそうでない人のちがいは?

 

などなど、様々なギャップから、歳を重ねるとはどういうことか、老いと成熟のちがいは何か、笑いも交えながら、対話と思考が展開されました。

 

そのなかで、けっこうな盛り上がりをみせたのが「自己認識のアップデート」説。

運動会で何人ものお父さんが転んじゃうのは、身体は変化しているのに自己認識は変わっていないから、つまり自己認識のアップデートができていないからじゃないか。

自分は変わっていないと思い込んでいる人より、自分の現在の状態を理解し律することができる人のほうが、かえって年齢より若くみえる。しかも成熟もしてる。

そんな話が出て、「老い」と「成熟」の違いを考える大きなヒントになりました。

また、自己認識のアップデートの機会として、コミュニティや周囲の環境の大切さについても語られました。

女性は自分の体に向き合う機会がちょこちょこあるけれど、男性はその機会が少ないのではないか。消防団はけっこう、自分の今の状態を知る機会になるよ!などなど。

 

それから、対話のメインではなかったかもしれないけれど個人的に面白かったのが、歳をとると人や物の名前が出てこなくなるけれど、「ほら、あれあれ」で通じたり、通じなくても柔軟にコミュニケーションがとれたりするって話。

子どものころ「なんで大人は『ほら、あれあれ』でわかるんだろう?超能力?」って思ってました。

という話をしたら、みなさんにウケたので、今後、自分が「ほら、あれあれ」と言い出したりたら、超能力が身についた!と思うことにします(笑)。

 

ご参加くださったみなさん、Ziba platformのみなさん、ありがとうございました。

f:id:e-matsu145:20180917134541j:plain

Iさんお手製のレモンクッキーも可愛くて美味しかったです♪ご馳走様でした。



次回のZiba platformでの哲学カフェは、11月23日(金・祝)。

勤労感謝の日なので、「働く」か「仕事」に関するテーマがいいなと、考え中です。

お楽しみに。

9月19日夜、わのみんTVに出演します。

急なお知らせになりますが、明日9月19日(水)の夜、インターネット番組「わのみんTVに出演させていただくことになりました。

 

哲学カフェの話をゆる〜くさせていただく予定。

番組は20:00から、わたしの出番は20:20ぐらいから(たぶん)です。

哲学カフェが気になる方、「ちょうどその時間空いてるわ〜」って方は、よかったらご覧ください♪

 

freshlive.tv

 

freshlive.tv

二つの文章を読んで、問いをつくる@徳島県立池田高校

ちょっと遡って、8月28日(火)は、今夏3度目の徳島でした。

てつぷら岡山の木下志穂さんと一緒に、特急南風に乗って岡山から1時間15分。

 

徳島県立池田高校3年生のみなさんと哲学対話。

小論文講座の一環で、自分で考える、じっくり考えるとはどういうことかを実践的に学んでもらうというのが目的です。

書く練習は普段からしているそうなので、私たちとの時間は書くことは一切せず。

話す、聞く、考えることに集中します。

 

前回は「失敗してもいいのはどんなとき?」をテーマに対話しましたが‥‥‥

 

matsukawaeri.hatenablog.com

 

今度はより小論文対策っぽく。2グループに分かれて‥‥‥

  1. 2つの文章を読んで
  2. 共通の問いを立てて
  3. 対話する

という内容。

どうも最近の大学入試の小論文は「2つの文章を読んで論じなさい」というのがよく出るらしいので。

 

昨年うかがった際は、「あえて一人では難しそうなものを」と科学技術に関する文章を取り上げましたが、今年は木下さんが提案してくれたコミュニケーションに関する文章を用意。

これが大当たり!

どんな文章を読んだのかは企業秘密(?)にしておきますが、著者の主張にツッコミをいれたり、二つの文章を比較したり、先生や地域おこし協力隊の方も一緒に加わって、「『どっちでもいい』って言うのはどんなとき?」、「自己主張しすぎると人間関係がギクシャクするって書いてあるけど、どこまでならウザくないの?」などなど、けっこう楽しそうに取り組んでくれました。

 

f:id:e-matsu145:20180828144946j:plain

f:id:e-matsu145:20180828153444j:plain

 

テーマだけより、文章について感想を言い合うほうが話したり考えたりしやすいのかもしれないなぁ。

こんな問いが出てきました。

 

f:id:e-matsu145:20180828160453j:plain

みにまむ(松川)グループの問い

 

f:id:e-matsu145:20180828160504j:plain

しぃちゃん(木下)グループの問い

 

それから、今回は会場の力も大きかった!

こちらのカフェスペースを、お借りしました。

minde.jp

 

f:id:e-matsu145:20180828145655j:plain

しぃちゃん(木下)グループは、2階の畳スペースで

f:id:e-matsu145:20180828143543j:plain

みにまむ(松川)グループは1階のカフェスペースで

 

リラックスしやすい雰囲気だったので、進行もしやすくて大助かり!

私のグループは、きれーに男子生徒、女子生徒と、大人に席が分かれちゃったのですが、同じテーブルの人とだと話しやすいそうだったので逆手にとって「同じテーブルの人と相談タイム」を設けたりもしました。*1

 

みなさんの主体性を引き出すには、話したくなる素材やテーマ、話しやすい環境づくり、臨機応変な対応が大事!と、再確認した対話。

私たちにとっても、学びの多い時間でした。

小論文に限らず、今後もこうして考えることを楽しんでもらえるとうれしいなぁ。

 

池田高校のみなさん、真鍋屋のみなさん、ありがとうございました。

 

*1:今回たまたま、孤立する人がいなさそうだったのでうまくいきましたが、いつもこのやり方でうまくいくとは限りません。

哲学カフェのテーマと出会える26の本

株式会社SCICUS様の主催で【哲学カフェのテーマと出会える26の本】というブックガイドが公開されました。

13社の出版社様がそれぞれ「哲学カフェに使ってほしい本とそのテーマ」を紹介されています。

 

peraichi.com

 

 

カフェフィロの『哲学カフェのつくりかた』がきっかけとなって実現した企画ということで、著者代表としてコメントを掲載いただきました。

 

哲学カフェのつくりかた (シリーズ臨床哲学)

哲学カフェのつくりかた (シリーズ臨床哲学)

 

 

 

「哲学カフェのテーマが見つかる本」も募集されています。

オススメの一冊がある方は応募してみては?

 

岡山では、ちょいちょいえほん哲学カフェをやらせてもらってますが、絵本以外もまた企画してみようかな〜。

 

slowbooks.jp

 

「人それぞれ違うのは良いこと?」@バード2006

8月30日(木)は、久しぶりに倉敷で哲学カフェ。

 

www.facebook.com

 

メインの進行役は、香川県でtetugakuyaというお店をされている杉原あやのさん。

何度か岡山の哲学カフェにも参加してくださったことがあります。

いつかご自身のお店でも哲学カフェを開けたらと考えておられるとのこと。

その前に一度、私と一緒に進行を体験してみたいとおっしゃってくださり、企画しました。

おかげで、久しぶりに倉敷のみなさんともお会いできたし、初めての方もけっこうきてくださって、よかった!

 

多度津にある杉原さんのお店。いつか行ってみたい!

www.tetugakuya.net

 

 

f:id:e-matsu145:20180830114122j:plain

右側にいる水色のワンピのお姉さんが、メイン進行役の杉原あやのさん

 

テーマは、「『人それぞれ』について、一度じっくり考えてみたい」という杉原さんのご関心から。

 

子育てや家庭など身近な話題から、教育の話題を通して、国際的な問題まで。

歴史も行き来しつつ、幅広い角度から「人それぞれ」について考えました。

 

  • ママ友やご近所さんとは「人それぞれ」でないと、付き合えない?
  • 「人それぞれ」と安心できるのは、ベースで共有しているものがあってこそ?
  • 一律に教育することの功罪は?
  • 国や政治のあり方によって、教育のあり方もちがえば、違いの捉え方もちがう?
  • 多様性を認める教育によって、学力は落ちた?それとも、学力が落ちたように見えるのは、一面的な見方をしているから?

 

今回の盛り上がったのは教育や子育てに関する議論ですが、それとは別に、対話そものや対話しているその場についても考えることができたのも、おもしろかったな〜。

 

まず、バード2006はカフェギャラリーなんですが、ここで哲学カフェをすると、必ず作品に言及する発言が出るのもおもしろい。

会場に飾られた様々な作家さんの絵に言及して、芸術作品の好みに触れられる方も。

たしかに、誰でもよいと思う絵が同じなら、こんなふうにいろんな作家さんの作品は飾られないだろうなぁ。

 

それから、戦後すぐ小学校に入られたという方の「それぞれが違うものを選べるのは、豊かだからだ。余裕がないときは、人それぞれなんて不可能」という言葉も印象に残っています。

思わず、カフェのメニューをじっと見てしまいした。

そうか、人それぞれ好きな飲みものを選べるのも、余裕があるからかもしれない。

 

さらに、テーマに関する参加者同士の意見の対立について、「こういう考えの違いも『人それぞれだよね』って言っちゃう?」という疑問!

いい感じに緊張がゆるみ、思わず笑いが溢れる瞬間でした。

でもたしかに、哲学カフェで「人それぞれ」って言っちゃうとつまんない気もするし、「人それぞれでいい」と思う場面や事柄も人それぞれというのが、難しいところでもあるし‥‥‥。

 

おもしろいテーマだったし、さらにいろんな人の意見を聞きたくなったので、またいつか「人それぞれじゃダメなのはどんなとき?」なんかでやってみたいなぁ。

 

ご参加くださったみなさん、バードさん、ありがとうございました。

 

 

今回は杉原さんの進行役デビュー、そしてたくさんの方が被災された倉敷市での開催ということもあり、進行代(参加費−ドリンク代)6,100円を、ももたろう基金に寄付させていただきました。

 

www.momotarosaigai.jp

 

みんつく(みんなでつくる財団おかやま)さんなら、帰り道に気軽に事務所に立ち寄れるし、どんなふうに寄付金が使われているかもこまめにお知らせしてくださるので安心です。

豪雨で被災された方の支援に少しでも役立ちますように。

 

「いい人ってなに?」@フリーデザイン

先週の8月22日(水)は、就労移行支援センター、フリーデザイン岡山さんでの哲学カフェでした。

 

テーマは、「いい人ってなに?」。

哲学カフェ「いい人ってなに?」(フリーデザイン)

 

がっぷり四つに組むってこういうことを言うんだろうな、なんて感じる対話でした。

ここの哲学カフェは利用者さんが疲れすぎないように1時間半と短めなんですが、内容はいつも濃いめです。

今回は時間はあっという間でしたが、内容は3時間ぐらい話したんじゃないかと思うぐらいガッツリ。

どうまとめるか迷って、レポートが遅くなっちゃいました(^_^;

 

何でそんなに盛り上がったか?

争点は、「誰にとっても『いい人』な人はいるか?」でした。

「みんなが『いい奴』って言う人を知っている!」という人と、「そんな人がいるわけがない!」という人と。

真っ向から対立するふたつの意見を中心に、みんなであれこれ仮説を出しながら検証するような展開になりました。

 

  • 「いい人」ってどんな人?
  • 悪口を言わない人が「いい人」?(悪口を絶対に言わない人っている?)
  • 相手にとって都合のいい人が「いい人」?
  • 「いい人」なのって、いいこと?(恋愛話では、残念な人のことも)
  • 外では「いい人」でも家族にとってはそうでないことも‥‥‥
  • 生前はあれこれあっても、亡くなったら「いい人だった」ということも‥‥‥

 

どれも面白い仮説でしたが、対立するふたりの意見の分かれ目が「悪口を言わない人は存在するかどうか」という点にあることが明らかになったことから、終盤は「悪口って何だろう?」と考える展開に。

これはこれで、興味深い論点だったので、改めてみなさんと考えてみたいなぁ。

 

前に「哲学カフェ、難しそう」と遠慮されていた方が参加して、「楽しかった!」とおっしゃってくださったのも、めちゃくちゃうれしかったです(^-^)

ご参加くださったみなさん、フリーデザイン岡山のみなさん、ありがとうございました。

 

次回のフリーデザイン岡山の哲学カフェは10月24日(水)の予定です。

詳細は、改めてフリーデザイン岡山のfacebookでお知らせします。

 

freedesign2010.co-site.jp

よい哲学カフェとは?(参加者の質問より)

メモを整理していたら、2015年のメモから、こんなのが出てきました。

facebookのタイムラインにでも投稿するつもりだったんでしょうか。

いまも考えは変わっていません。

 

===以下、2015年のメモより===

 

先日、哲学カフェの参加者の方から、こんな問いかけがありました。

 

充実した哲学カフェと、良い哲学カフェは同じでしょうか?

良い哲学カフェは、参加者全員が良いと思わなくてはいけないでしょうか?

良くない哲学カフェでも、参加者が良いと思えばよい哲学カフェでしょうか?

一人一人に主観があり、同じ時間を体験していても、違った感想を持つならば、良い哲学カフェって何でしょう?

 


「充実した哲学カフェ」と「よい哲学カフェ」、私は、厳密に区別してはいません。

が、「よい哲学カフェ」というと、なんとなく、第三者から評価できるかのような印象をもたれやすいので、あまり使わないようにしています。


私に判断できるのは、私にとってよかったかどうか、私にとって充実していたかどうかだけです。

ただ、参加者全員が「今日の哲学カフェは充実していた」と心から感じれたら、それは「よい哲学カフェ」と言ってよいと思います。

対話に参加していない第三者がなんといおうと。

そして、自分がどんなに楽しくても、他に楽しめていない人がいたら、やはりそれは「よい哲学カフェ」とは言い難い気がします。

 

自分が楽しめていないときは、なぜ楽しめていないのか考える。

自分が楽しいときには、他の人も楽しめているかどうか気にかけてみる。

楽しめてなさそうな人、楽しめているかどうかわからない人がいたら、声をかけてみる。

そうすることによって、理想とする対話像が異なる人同士でも、「思ってたのとちがったけれど、思ってたより面白かった!」が実現できるのではないかなぁ。