ジュディス・バトラー、Undoing Gender(2004)のなかの"The End of Sexual Difference?"について書いた書評です。
D1のとき、研究室の紀要『臨床哲学』に投稿しました。
☞書誌情報(PDFで読めます。)
タイトルの「Undoing Gnder」は編集担当さんのミスです。正しくは、「Undoing Gender」。
概要(抜粋)
ここではジュディス・バトラーの Undoing Gender(2004) から、フェミニズムやその他のセクシュアル・ マイノリティにも関わる様々な政治的状況で互いに衝突を起こしている一連の用語、ジェンダー、セクシュアリティ、性的差異について考察している第 9 章「性的差異の終焉?」を紹介する。三つのうち、バトラーが特に注目するのは、近年のフェミニズム理論およびクィア理論におけるジェンダーという語の地位である。「フェミニズムはジェンダーに関わるのに対し、レズビアン&ゲイ・スタディーズはセックスとセクシュアリティに 関わる」という考えを受け入れるクィア理論がある一方で、「性的差異に 回帰すべきだ」と主張して「ジェンダー」を排除しようとするフェミニストがいる。まずこの二つの立場に対するバトラーの批判的分析を概観した後、ここでは特にジェンダー/セクシュアリティの問題を考える上で重要な、そしておそらく「現場」に関わる臨床哲学にとっても無視できないと 思われる、言語の政治性という問題と、それに対するバトラーの calling into question と呼ばれるアプローチに注目したい。