毎月第2水曜日は、「ヒバリで考える」の日。
というわけで、7月11日(水)はヒバリ照ラスで哲学カフェでした。
ヒバリで考える(5)「おカネと幸せの距離」 | ヒバリ照ラス
テーマ提案者のヒバリ照ラスのYさんの「欲しかったものをおカネで手に入れても、また欲しいものが出てきて、おカネと幸せの距離が縮まらない」という話に、なるほど。
かと思えば、初めて参加された方から「おカネと幸せの、自分からの距離を思い浮かべた」と。
「自分からの距離」という発想はなかったので、冒頭からうれしい。
前半は、「クラウドファンディングなど、おカネがなくても望みを叶える方法はあるのでは?」、「なぜ宝くじを買うんだろう?」、「仮想通貨もおカネ?円などとどうちがう?」といった様々なおカネのあり方が挙がりました。
後半は、「おカネ大好き!けど、なくてもがなくても感じられる幸せもある」、「たくさん稼いでるけど、何が欲しいのかわからない人は幸せなの?」「浪費という行為そのものに感じる喜びもある」などの話から、「幸せって何?」という問いをめぐる展開。
「余裕がないと幸せを感じられない」説や「幸せ=安心」説が浮上します。
今回のハイライトシーン(まつかわの独断ですが)はここから生まれました。
たしかに、おカネがあったほうが、幸せを感じる余裕や安心を得やすい。けど、おカネさえあれば余裕や安心を得られるかといと、必ずしもそうとも言い切れないし‥‥。
などと、人生の深淵や被災地のことを思い浮かべながら考えているとき、ある男性がポロっとこぼしました。
曰く、「でも、安心したら得られない幸せもあるよね」と。
え、そんなのある?たとえば?と尋ねたならば、やや沈黙あって出てきた答えは、
「恋愛」。
これに会場がどっと沸きます。
「それ、思い浮かんだけど、言えなかったんだよ。なんかそういう雰囲気じゃなかったから〜」と共感する男性たち(一部だけど一人でもない)は、「よく空気を読まず言えたな〜」と勇者を称え共感する笑い。
全くその発想もなかったわたしも、「そんな恋愛観で大丈夫?!」というツッコミで一気に脱力。
とても心地よい笑いでした。
哲学的にも、自ら危険に飛び込んでしまう人間の本質が、見事に絶妙な間合いで明かされ共有された瞬間と言えるでしょう。
哲学カフェ前には、早めに来られた方と豪雨の日どう過ごしたか、各地の状況や支援などの情報を交換したり。
ニュースで大きく取り上げられている真備地区以外にも被害は出てるし、みなさんの顔を見て無事を確認できると、ほっとします。