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概要
ミシェル・フーコーは、『レーモン・ルーセル』(1963)において、ルーセルが明るみに出した言語における空白の存在に注目している。それは、言語を可能にする原理であると同時に言語によっては取れきれない言語の限界でもある。また、言説分析の方法について論じられる『知の考古学』(1969)では、再び言語を可能にする空白とそれを明らかにするための方法について論じられている。このような共通点をもつにも関わらず、文学論と歴史分析の方法論というちがいからか、これらの比較はこれまであまり行われてこなかったように思われる。 そこで本論では、フーコーがこの「言語における空白」について語っているこの二つの著書を取り上げ、私たちの知の条件と限界を暴こうと試みるフーコーの言説分析の方法と、その可能性および限界を明らかにする。
『レーモン・ルーセル』は、『狂気の歴史』と関連づけて理性と非理性の関係、あるいは文学と狂気の親和性を論じたものとして、あるいはフーコーの他の文学論とともに「外の思考」の可能性を追求したものとして取り上げられることが多かった。これに対して、歴史分析の方法につ いて述べられた『知の考古学』と比較することは、特に言説分析という方法にどのような影響を 与えたかという点から『レーモン・ルーセル』という著作がフーコーの思想においてもつ意義を 示唆することになる。
また、フーコーはいくつかの文学論を残しているが、1960年代後半には文学への興味を急速に失ってゆく。それと同時に、フーコーの著作から「ラング/パロール」といった語が消え、「言説/言表」という語が積極的に用いられるようになる。特に「言説」という語が集中的に現われる1969年から1972年は、フーコーが自らの歴史分析の方法について理論化を試みた時期にあたる。『レーモン・ルーセル』と『知の考古学』における「空白」のちがいは、フーコーの方法論において「言説」という概念の導入がもつ意義を明らかにするだろう。