1ヶ月ぐらい前に書きかけのまま、ほったらかしてた記事。
なんかもう一歩書きたいことがあったんだけど、
言葉になりきらない途中のままだけど、アップしちゃう。
コロナ禍のなか、哲学カフェをどうやって続けていくか主催者や依頼者と相談したり、
他地域で活動する哲学プラクティショナーとオンラインで話す機会が増えたり
母校の授業で“てつがくやさん”の仕事について話す機会をいただいたり。
なんとなく、
“てつがくやさん”として、できるけどやるべきじゃないこと
について思いを巡らせる機会が多い今日この頃。
たとえば、今月17日の犬てつ企画「哲学対話で男女共同参画」。
最初は昨年と同じように、犬てつのミナタニアキさん、安本志帆さんとわたしの3名で企画を考えはじめました。
けど、「今年はLGBTのことを考えたい」ってなったとき、この3名だけで考えるのは、なんかちがうな、と。
LGBTにかぎらずマイノリティの問題を、当事者でもない人が勝手に決めてネタにするのは避けるべきだと思うし、実はわたしも正確にいえばLGBTQ+のどこかに入る当事者ではあるのだけれど、当事者自覚歴も浅く、あまり困った経験がないせいか当事者感も薄く、今回、当事者として関わるには役不足感あり。
「ただ考えるだけでいいの? ちゃんと知るところからはじめるべきじゃないか」という想いもあり、NPO法人ASTAさんも企画に加わっていただくことにしました。
急に企画の前提や構成が変わったので、調整役のミナタニさんは大変だったと思います。
けど、ほんっとうに、ASTAさんに加わっていただいてよかった。
もしASTAさんがいなかったら、3人よがりな企画になっちゃったと思います。
ASTAさんとの打ち合わせがなければ、「味方ってなに?」なんてテーマは思いつかなかったし、LGBTについての理解も足らなかったし、味方についてあんなに考えることもできなかった。
自分たちだけでやるべきじゃないことを、自分たちでやらないという決断、大事。
無理やりやろうと思えばできたかもしれないけど、やればいいってものじゃない。
そんなことを思いました。