だいぶ前のイベントレポートが、書きかけ状態のまま「下書き」ボックスに入っておりました。
うまく言葉にできず、このままお蔵入りかと思われたのですが、やっぱりもったいないので言葉足らずのままアップさせていただきます。
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10月18日の夜は、岡山芸術交流のパブリックプログラムとして、ミルトーク、テーマがわりにアート作品を「観て」「話す」、いわばアート哲学カフェを開催しました。
(「ミル」には「観る」だけでなく、「千の(mille)」という意味もあります。)
作品は、日没と同時に岡山市民会館の外壁に現れる、ミカ・タジマ「ヒューマン・シンス(岡山)」。
雨の中の屋外鑑賞ということで、あまりじっくり観れないかもと懸念してましたが、通行人の邪魔にならぬよう2グループに分かれ途中で場所を交換しつつ、みなさん熱心に30分ほどじっくり鑑賞。
その場でグループごとに軽く感想を共有したあと、室内に移動し、温かい飲み物をいただきながら対話しました。
煙?水蒸気?生き物みたい
人の一生を思わせる
宇宙の時間を感じさせる
感情の動きを表している?
こちらの感情が揺さぶられる?
天井や壁に閉じ込められてる?
外の世界と断絶してる?
外の世界と繋がってるみたい?
みる場所のよって感じ方は変わる?変わらない?
そもそも、あれは“作品=表現”なのか?
などなど、前半は作品のみえ方について、それぞれの視点の違い、作品の何がそう感じさせるかなどを確認。
その後、作品に関する考察から、「作品を観る私たち」に焦点が移ったのが面白かった!
「これって、作品なの? 何かを“表現”しているのか? ただの煙を写しているようにしか見えないけれど‥‥‥」
「いや、煙ですらないのでは。ただの映像。フェイクって知ってるからこそ、安心してみていられる」
「たしかに!映像って知らなかったら、通報しちゃう」
「作品を観るという目的ではなく、あそこを通る人はどうみてるんだろう?」
「それも気になるけど、あれをじっとみてる私たちが通りすがりの人からどうみえてるのかも気になっちゃって! すごく変な集団に見えるんじゃないかと、こっそりもう一方のグループ見てみたんだけど、バスを待っている人みたいに意外と景色に馴染んでた」
そこから、何かが「表現」や「作品」として立ち現れるとき何が起こっているのか、あの場所に自分たち自身に何が起こっているかも含めて考察が展開。
たっぷり参加者のみなさんの視点と言葉を楽しんだあと、終了10分前に作品説明をスタッフさんにしていただきました。
そこでまた、解説をきいて「なるほど!」と腑に落ちる点もあれば、「えええ!なんで?」とますます謎が深まる点も‥‥‥
岡山芸術交流のスタッフさんからも、
「私たちは先に作品の解説を知ってしまうので、そういうふうにしか見れなくなってしまっているけれど、みなさんの言葉をきいてそういう観方もあるんだ!と作品を新鮮な視点で観ることができて楽しかった!」
とおっしゃっていただけました。
また、ミルトークとはまたちがったかたちで対話型鑑賞を繰り広げているアートナビ岡山の方も何名かご参加いただいたのですが、その感想が意外にも斜めから差し込んでくる感じで、めちゃくちゃ面白かった!
芸術交流に様々な形で関わっている方たちの、その立場を脇に置いて語られる率直な言葉から、新たな一面や魅力が垣間見えたのもうれしかったです。
ご参加くださったみなさん、岡山芸術交流のみなさん、ありがとうございました。
この岡山芸術交流、トリエンナーレなので3年に1度開催されるのですが、3年後にもできるといいなぁ。