てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

許すとは、許しがたいことを許すこと

「許す」は、哲学カフェでもそこそこ人気のテーマだったりしますが、

わたし自身もここ何年か「許したいけど許せない」と悩んでいたことがあったりしました。

ほんの10日ほど前、ふと「(その相手に)優しくできないから会わない」と言葉にしてみたらスッキリして、そもそも「許すか許さないか」という問いが葛藤のモトだったのかもしれないと思う今日この頃ですが、

その後、「許す」について、意外なところですとんと落ちる言葉に出会ったので備忘録。

 

信じられないかもしれませんが、そうなのです。
なぜなら、許し難いことを許すことが、許すことだからです。
それこそが、許すということです。
どうでもいいことを許す時、許すということの意味がどこにあるでしょう?

それには、許すという言葉は当てはまらないのです。
なんの問題もなく、もともとオーケーなのですから。
そこには、許す許さないの選択すらありません。
ですから、許すとは、とても許せないと思えることを許すことなのです。

 

子どもを許すとは、だらだらしているのをただ黙認していればよいのですか?【前編】[教えて!親野先生]|ベネッセ教育情報サイト

 

 

だらだらしている子どもを黙認していいのかと悩むお母さんへの回答で、

このあと「叱ったり責めたり嫌みを言ったりするのをやめて、ほめることを増やしてください」など、定番といえば定番のアドバイスが続くのですが、

わたしのほうはこれを読んで、「そもそも許すというのが許し難いことを許すことなら、許せなくてもしゃーないな」と、むしろ許せないことに納得できたのでした。

それは、子育て以外の人間関係にも大いに当てはまりそうです。

 

そして、許せないからといって関係を断たなきゃいけないってわけでもない。

「あのときのあれは未だに許せないけど、一緒にいる」という選択肢もありうる。

だから、わたしのなかでは「許せないから会わない」じゃ腑に落ちなかったんだな。

「会わない」の理由として「許せない」は不十分でした。

もちろん、それで十分な理由になる人もいるだろうけど、わたしにとってはそうじゃなかった。

現状はなにも変わってないけれど、本当の理由が「嫌なことしてくる相手に優しくできないから」だとわかって、すっきり。*1

 

 

benesse.jp

 

 

*1:今回は哲学カウンセリングしてもらったわけではないけれど、哲学カウンセリングではしばしばこういうふうに問題解決とは異なる仕方で悩みが解消されることがあります。