6月30日(日)は、西粟倉村へ。
岡山東端にあり鳥取や兵庫県に接する人口1,500人ほどの小さな村ですが、「百年の森林構想」や「ローカルベンチャースクール」など新たな試みでも知られる、県内でもちょっと話題の地域です。
www.vill.nishiawakura.okayama.jp
以前、尾道でお世話になった方がこちらで図書館長兼公民館長をされているということで、移住者も昔からここで暮らす人も一緒に話し合えるような対話をということで、哲学カフェをしに行ってまいりました。
テーマは、以前、津山のZiba Platformで盛り上がった「〈つながり〉と〈しがらみ〉」。
ちょうど、西粟倉でも移住者が増えたり、公共施設のリニューアルを控えていたりと、「つながり」のあり方について考えたい時期とのこと。
津山では、「つながりとは何か?」「しがらみとは何か?」「つながりはどんな場合にしがらみに変わるのか?」などについて、わりと一般的な例を出しながら語られましたが、西粟倉ではより具体的に地域の出来事や歴史に触れながら語られたのが印象的でした。
「以前はここがふるさとと感じるのは、この場所で育ったからと思ってたけれど、帰ってきて場所ではなく人のつながりのおかげだとわかった」
「いまはないけれど、婦人会をやってた人が、すごく楽しかったって言ってた」
「PTAも役員をする前は負担ばかりかと思ってたけれど、やってみたら楽しい」
「しがらみと感じるかどうかは、自分次第?」
「人によって、心地よい距離感はちがう」
「昔はもっとたくさん地域の人が集まったけれど、最近は集まりも減ったし、集まりがあっても出てこない人もいて、どうしたものか」
「地域の集まりって、昔は出るのが当たり前だったけど、いつからか出るか出ないか選択するものになった」
「お葬式や電球の取り替えの担い手が、近所から公的サービスに変わっても、つながりは感じる」
「別の地域の学校に進学した子どもが、村とは異なる人付き合いに戸惑っている」
「人とのつながりかたは、つながりのなかで試行錯誤して学ぶしかない」
「ちょっと気に入らないところがあるからといって関係を断つわけではない。お互い文句をいいながらも仲が良い、そういう関わり方がここにはある」
などなど。
人口が少ない地域になればなるほど、深刻で、だからこそ率直に意見をいうのが難しいテーマかなと内心ドキドキしましたが、始まって20分もすると次々と発言が出てきました。
「つながりとは何か?」「しがらみとは何か?」についての一般的な答えを出すというより、西粟倉ならではの〈つながり〉と〈しがらみ〉のあり方について、多角的な視点から言葉にし、分析するような‥‥‥。
ふだんは、ひとりひとりの人生のヒントが見つかればという思いで哲学カフェをしていますが、地域のヒントがなにか見つかりそう。
そんなことを感じさせてくれる対話となりました。
ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。