少し時を遡りまして‥‥‥
1月26日(土)は、岡山県津山市にあるZiba platformの哲学カフェでした。
テーマは「〈つながり〉と〈しがらみ〉」。
過去最多の15名以上の方が参加してくださいました!
職場の付き合い、地域での関係性、親戚の集まり、「つながり選挙」と「しがらみ選挙」のちがい(!)、学生時代の女の子同士の付き合い、消防団の体育関係なノリなどを例に、
- 〈つながり〉と〈しがらみ〉のちがいは?
- 自分にとってプラスになる関係が〈つながり〉で、マイナスになる関係が〈しがらみ〉?
- 一方にとっては〈しがらみ〉だけど、相手にとっては〈つながり〉ってこともありうる?
- 男性と女性とで、〈つながり〉や〈しがらみ〉のあり方はちがう?
- 〈つながり〉が〈しがらみ〉に変わるのはどんなとき?
などなど。
なかには、「〈つながり〉は感じるけど、〈しがらみ〉は感じたことがないな〜」という方も。
うらやましい!
だけどそれって、それとも、その人にはわたしが「しがらみ」と呼びたくなるような関係は一切ないのだろうか?
それとも、わたしが「しがらみ」と呼びたくなるような嫌な関係もその人が「つながり」と呼んでいるだけなのだろうか?
そんな疑問がむくむくわいてきた対話の中盤、「どうしたら〈つながり〉が〈しがらみ〉にならなくてすむのか?」についてみなさんが語り合うなか出てきた指摘が、印象に残りました。
〈つながり〉が〈しがらみ〉に変わるというより、そもそも人間関係って〈しがらみ〉から始まるのでは?
子が親を選べないのはもちろん、親だって子を選べないし、地域や学校、職場の人間関係だって、その人と選んで関係が始まるわけじゃない。
最初に〈しがらみ〉があって、そのうちのいくつかが、やがて〈つながり〉に変わるんじゃないかな。
(参加者の言葉より。ただし、メモをとっていたわけじゃないので、表現は多少ちがってるかもしれません。あしからず)
この指摘を聞いた瞬間、「しがらみ」という言葉の印象が、ガラリと変わりました。
それまで重くのしかかるように響いていたけれど、良い意味で軽くなるのを感じました。
すべての関係性は〈しがらみ〉から始まる。
だったら、〈しがらみ〉があるのは当然だし、無理になくそうとしなくていいや。
そう思えたのが、わたしにとって一番の収穫だったかも。
もしかしたら地方によっても感じ方がちがうかもしれないけれど、この哲学カフェが開かれた津山市も、わたしが住んでいる岡山市も、家族もすべて知られていて下の名前で呼び合うというほどではないけれど、東京や大阪といった都会と比べるとまぁまぁ関係性が密なお土地柄。
消防団の話題なんか特にそうですが、自分が選んだ人間関係だけで暮らしていけるわけではない、選ぼうとしてもどこかでつながってしまう、そういう地域です。
ここで会った人とまた別の場所で会うかもしれない、そういう土地でこういうテーマについて率直に語り合うのはちょっぴりスリルを感じたりもするわけですが、だからこそ語り合えると地域で息がしやすくなるなぁ、と感じたりもしました。
その他にも、性別によって関係性の築き方はちがう?男性だけど男性同士の付き合いが苦手、女性だけど女性同士の付き合いが苦手な場合はどうしたらいい?といったポイントでも盛り上がりをみせました。
他の人のようにはできくても、関わっていける方法を探そうと思えるヒントが見つかりました。
ご参加くださったみなさん、Ziba platformのみなさん、ありがとうございました。
次回のZiba platformでの哲学カフェは、3月30日(土)の予定です。
テーマなど詳細決まりましたら、またHPなどでお知らせいたします。