松川えりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「分かり合うってどういうこと?」@ここ・からワークスおかやま

 今日は、ここ・からワークスおかやまさん主催の哲学カフェ、ここ・から哲学caféでした。
 
前回は、1Fの無天茶坊さんが会場でしたが、今回は3階のこちらのお部屋で。 

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もともと中国銀行だった建物。独特の雰囲気があります。

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長机は五角形にセッティング。会議感が和らぎ、お互いの顔が見えやすいのでお気に入り。

 

テーマは「分かり合うってどういうこと?」。
先日、津山で開催した「理解するってどういうこと?」と一部重なるところもありつつ、また一味も二味もちがう対話となりました。
 
「 100%分かり合えることなんてありえないのでは?」
「分かり合いたいのは、感情や気持ち」
「分かり合えたかどうかの判断は、自分の主観的なもの」
「その判断は、相手の行為をみて行われる」
「分かり合えるかどうかは、時間のなかで変化する」
「共感することと分かりあうことは、違うのでは?」
「理解し合いたいけれど、うまく言葉で伝えられない」
 
序盤から次々と、吟味しがいのありそうな意見が出てきて、ドキドキしました。
しかし、その一方でその時点ではなかなか具体的な例が出てこなかったので、どこからどう手をつけたらいいのか‥‥‥。
また、
「分かり合えるかどうかより、分かり合えなくても『分かり合えたらいいね』という気持ちを共有しているかどうかが大事かも」
「『分かり合う』とは、相手が理解してくれていることを私が理解していること」
といった二重構造についての指摘も、今回の、面白いと同時に難しいポイントだったと思います。
 
しかし、中盤、それまで黙って聞いていたお二人の「相手に分かってもらう以前に、自分でも自分のことがよくわからない」、「相手によって理解し合いたいレベルは異なるのでは?」という発言が、よい刺激となりました。
後半は、これらの切り口から前半の主張の別の側面が現れ、徐々に解きほぐしながら歩むような展開となりました。
 
他の点ではすごく分かり合えるのに、誕生日プレゼントだけが『分かってないな〜』という人、全然趣味とちがったけどうれしかったプレゼントの話、「そこは触れないで」と言える関係と言えない関係、ある時点まで隠していたことを隠さなくなった体験
‥‥‥などをヒントにしながら、こんなことが見えてきました。
 
  • 100%分かり合えることは(できないだけでなく)必要ない
  • 相手を100%理解してしまったら、その人と一緒にいる楽しさが減ってしまう
  • 相手と分かり合いたいポイントやレベルがずれている場合、不満に感じやすい
  • 相手の理解しようという気持ちは、行為のプロセスのなかに現れる
  • 相手がどういうときどう感じるかを把握し、それに適した行動をしてくれると「分かってくれている」と感じる
  • 「分かり合う」の2種類の相互性:①自分も相手をわかっているし相手も自分をわかっている、②相手が私をわかっていることを私がわかっている

 

共感とのちがいについては、「共感」は同じ意見や同じ感情をもつことだけど、「分かり合うこと」は互いの違いを認め合うこと、と先月津山のZiba platformで開催した「理解するってどういうこと?」で出た話と重なるところも‥‥‥。
しかし、今回はそこから「共感は分かりあうことの一部か、それとも分かりあうことの土台として共感があるのか?」「共感や分かりあうことから、どのような感情が生じるか?」といった、さらなる展開もみられました。

「気持ちを分かり合う」という話からはじまって、「分かり合うことから生じる気持ち」で終わったところも、よかったなぁ。
 


終了後、1階の無天茶坊さんでランチをいただきました。
予告どおり魯肉飯(ルーローハン)セット!
ではなく、「台湾茶煮」に興味をそそられて角煮セットに変更。
(写真撮るの忘れちゃった!)
食べ応えはしっかりあるのに、脂っこすぎず美味しかったです。
 
次回のここ・から哲学caféは、9月1日(土)の午後開催の予定です。
詳細は、イベントページができたらお知らせします。
 
※2018.6.4追記※
次回9月1日のイベントページ、できました。