先日ご紹介した卒業生インタビュー、けっこうアクセス数がいいみたいです。
いろんな意味で小さい私のインタビューがなぜ‥‥‥恥ずかしいけれど、ありがたいです。ありがとうございます。
さて、一昨日は「聞き方カフェ」なるものに参加してきました。
たまには、哲学対話とはちがう聞き方も学んでみようかなと思って。
最初は、講師のくろちゃんが「愛」や「幸せ」について軽やかに語るのを見て、「自分とは全然ちがう」と感じました。正直言うと、若干、警戒もしました。
でも、どうもよく聞くと、私がちがう言葉で捉えてきたことが、そこにある。
聞けば聞くほど、「聞く」ということを追究していくと、同じところに辿り着くんだなぁ、と感じました。(もちろん、まだまだ途上ですが‥‥‥)
そして、同じだからといって学びがないかというと、全くそんなことはなく。
これまでやってきたことを、異なるやり方、異なる言葉で、捉え直す機会となりました。
なかでも一番印象に残ったのは、相手の声を聞けるようになると自分の声も聞けるようになる、自分の声を聞けないと相手の声も聞けない、ということです。
そのこと自体は、哲学対話を実践するなかでとっくに気づいていたはずなんですが‥‥‥
実は最近、プライベートで「私って、そんなに心広くないわぁ」と思うことがありまして。
自分自身の心の声に耳を傾けた結果、相手が許容してほしいと願っているあることを、相手が許容してほしいと願ってるってわかりながら、どうしても許容できなかった。
そのことについて、「私って冷たいかな」と若干迷いがあったんですが、聞き方カフェに参加して、同じ事柄を「愛」という言葉で語ることもできるのか、と。
結果的に相手も自分も尊重できてるし、まぁ、いっか!とふっきれました。
それもまた、くろちゃんがそう言ったというわけではなく、私がくろちゃんや他のみなさんと時間を過ごすなかで、自分で気づかされたこと。(「自分で気づかされた」って、日本語おかしいけど、自分で気づいたんだけど、自分だけで気づけたことじゃないので、この表現が一番しっくりきます。)
「仕事の参考になれば」と参加してみたけれど、昨年1年近くモヤモヤしてた悩みをふっきれて、思わぬ収穫でした。