こういうの、フーコーだったらどう言うかな?と思って、ちょっとやってみる。
21世紀の日本では、「グローバル教育」を叫びながら、このような排他的同化主義が浸透していた。
地毛が黒以外の者は、「地毛証明書」を提出するか、地毛を黒く染めなければ、学ぶ主体(sujet)とはなれない。
また、彼らのいう「グローバル教育」とは、今日の我々が想像するような多様な人種、文化、スタイル、生き方を受け入れる知的好奇心の涵養などではなく、ほとんど、英語という単一の言語の習得のことを指していた。
つまり、学校とは、英語を話す黒髪の臣下(sujet)の分別・生産装置として機能していたのである。
久しぶりに読みたくなっちゃった。

- 作者: ミシェル・フーコー,Michel Foucault,田村俶
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1977/09/01
- メディア: 単行本
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