てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「家族って何?」with Ziba Platform

今日は、Ziba Platform主催のオンライン哲学カフェでした。

テーマは「家族って何?」

 

note.com

 

実はこのテーマ、過去に何度か扱ったことがあるのですが、けっこう荒れやすいテーマなので、ドキドキ。

なにが荒れやすいって、誰かの「家族ってこういうものでしょ」に別の誰かの家族が当てはまらなかったり、誰かの家族が、別の誰かの「そんなのは家族じゃない」に当てはまっちゃったりする。

そのとき、「自分の家族が否定された」と感じて冷静に話すのが難しい。

でも、だからこそ、やっぱり大事なテーマだと思うんですよね。

大事だから、取り乱しちゃうんだよ。

どうでもよかったら、取り乱したりしない。

ということで、満を辞して、Ziba Platformの哲学カフェに登場です。

 

今回はとりわけ多様な家族(のような存在)経験のある人が集まったおかげで、当たり前に囚われず考えやすかった気がします。

そして、それぞれの経験の違いと同時に、多様な家族(のような存在)に通じる普遍的なものを感じとることができたような‥‥‥。

 

  • 無条件に愛してくれる人(愛ってなんだろう?)
  • 「ごはんを一緒に食べる人」(by.  上野千鶴子
  • 遺産と相続
  • 宗教や信仰
  • 家族の境界は?
  • 家族と家族のような存在
  • 社会的家族(血縁、戸籍)と精神的家族
  • 会食恐怖症と場面緘黙症
  • 仲のいい友だちとのちがい
  • どういうものを家族と呼びたいか?
  • 生活のリズムの共有
  • 宇宙船地球号に乗った家族」

 

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いろんな話が出たけれど、給食や社会的家族とのごはんも「会食」になってしまう場合があるという発見が、案外、印象に残ったなぁ。

今回は、「一緒に食べる」という行為と「家族(のような存在)」との関わりについての考察が、大きなポイントになりました。

また、その手前で「社会的な家族」と「精神的な家族」の違いが示唆され、その二つが重なることもあれば、ズレることもあるということを確認できたことも、経験の違いを認めながらその差異を超えて一緒に考えることに大きく寄与してくれた気がします。

お互いの違いを認めながら、共に考えることの醍醐味を体感できた対話でした。
 
 
ご参加くださったみなさん、Ziba Platformさん、ありがとうございました。
 
次回のZiba Platformの哲学カフェは、は1月28日(土)の予定です。
また、詳細決まり次第、HPなどで情報シェアさせていただきます
 

子育てモヤッとニコッとカフェ@大元公民館

岡山市立大元公民館で開催している、子育てモヤッとニコッとカフェ、秋の3回が終了しました。

子育てモヤモヤから出てきたテーマを扱いながらも、笑いの絶えない哲学カフェです。

 

簡単に、メモとともにふりかえってみましょう。

 

9月12日(月)「“はしたない”を教えていい?」

夫が、娘にだけ「はしたないからやめなさい」と言うのが気になる(息子には言わないのに)、という参加者のモヤモヤから出てきたテーマ。

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「はしたない」には、幕の内弁当のようにいろんなものが詰め込まれてるなぁ。

そんな発見のあった対話でした。

 

あれこれ話した結果、「“はしたない”という言葉は使わないでおこう」という結論に至った人と、「むしろ男の子や男性にも積極気に使っていきたい」という結論に達した人と、両方いたのがおもしろい。

一見その両極端にみえる結論だけど、どちらも女性にだけ「はしたない」を言う人とは反対の立場に立とうとしている点では共通するんだよなぁ。

 

 

10月14日(金)「人の気持ちを考えるって?」

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気持ちは見えないんだから、結局、行動を見て解釈してるんじゃないの?

『ごんぎつね』の気持ちを考えて、なんになる?

そんな疑問について考えるうちに「気持ちって、本当に存在してるんだろうか?」と自信のなくなる瞬間もあったけれど‥‥‥

 

「“ごめんね”って言われたら“いいよ”って言いなさいって子どもに教えるのって、どうなの?

「子どもが“いいよ”と思えていないのに“いいよ”って言わされてるのを見ると、胸がいたくなる」

「“いいよ”って言わなくてもいいこともあると思う」

そんな話をするうちに、やっぱり気持ちを大事にしたいという気持ちが湧いてきました。

 

 

11月14日(月)「信頼できないのはなぜ?」

「言いたいことが言えないのは、相手を信頼できてないからでは?」というモヤモヤから出てきたテーマ。

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話してみると、全く逆に「子どもを信用できずに、つい口出ししてしまう」という人も。

信頼と信用のちがい。

期待どおりになることと結びついた信頼と、思ったとおりにいかなくてもよいという信頼のちがい。

「信頼できる/信頼できない」のモノサシと「好き/嫌い」のモノサシと「合う/合わない」のモノサシのちがい。

 

どこからどこまでを「信頼」と呼ぶか、人によってちがいそう。

だけど、「信じるか?信じないか?」なんて意識しなくてよい状態にこそ、真の信頼関係があるのかもしれない、そんなふうにも感じる対話でした。

 

 

子育てモヤモヤからテーマをつくって語り合う子育てモヤッとニコッとカフェ。

次回12月は、何ヶ月かに1度の「モヤモヤを出し合おう!会。

詳しい日時を知りたい方は、公民館だよりなどをご覧ください。

 

www.city.okayama.jp

自分の意見がない(?)発達障害

youtubeでラジオがわりに聴いてるチャンネルで、ちょっと気になるタイトルの動画を見つけました。

 


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気になる理由は、哲学カフェで、ときどきこのタイプかなと思う方に出会うから。

特に、福祉施設での哲学カフェは、参加してくれる利用者の方に無理させていないか、気になることも。

発達障害といっても様々で、「普通ってなんだろう?」「障害ってなんだろう?」と話したり考えるのが大好きな方もいれば、そういうことを話したり考えたりするのが苦手な方もいらっしゃる。

フリーデザイン岡山なんかでは、自分で参加するかどうか選べるようになっていますが、それでも、はじめてのときは何をするのかよくわからないまま参加するということもあるだろうし、苦手だけど苦手だからこそコミュニケーション力向上を目的にがんばって参加されてることもあるでしょう。

そういう方に、哲学カフェが何をできるのか、迷うこともあるわけです。

 

でも、この動画で、いろんな体験をすること、いろんな人と会話をすることが重要とあって、ちょっとほっとしました。

そのいろんな体験のなかに、哲学カフェもいれてもらえていたらいいな、と。

 

実際、哲学カフェで最初は何を言えばいいのかわからなくて(こちらからすると何を言ってもいいんだけど、その「何でもいい」がめちゃくちゃ難しいことってありますよね)一言も話せなかった人が、回を重ねるごとに、うなづきで賛同や共感を示したり、うーんと迷う姿を見せてくれたり、「ちょっとちがう」「〜かも」と少しずつ少しずつ、自分の考えを表現してくれるようになることはあって。

この動画をみて、それは偶然ではなく、ちゃんと1回1回の哲学カフェがその人のなかで糧やステップとなっているのかもしれない、と感じました。

 

とはいえ、対話のなかで無理をさせちゃって苦手意識が強まったら本末転倒。

今後も自信をもって、無理せずゆっくり実践を重ねていこう。

 

 

それから、わたしとしては、対話のなかで自分の考えを全部言えなくても、うまく説明できなくても、他の方に助けてもらいながらでもいいんだと実感してもらうことも、コミュニケーション力向上の1つとしてカウントしています。

そういう意味で、以下の動画にあるように「なんとなく」も答えにカウントしていいというのも、大きなヒントかもしれない。

 


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実際、対話のなかで理由を尋ねたら「なんとなく」という答えが返ってくること、ちょこちょこあります。

てつがくやさんとしては、その「なんとなく」の中身が気になったりするわけですが、それって別に、必ずしも「なんとなく」と最初に言った人が答えなくてもいい。

それを聴いた誰かが「そういえば、わたしもなんとなくそう思ってた!けど、改めて考えてみたらこういうことかも」と接木のようにつないでくれたりする。

それが、対話のよさでもあるし、いろんなタイプの人がいることのよさだよなぁ。

 

もちろん、接木された考えと、最初の「なんとなく」と言った人の考えが一致するとは限らない。けど、それはそれで、

「ちょっとちがう」

「ちょっとちがうんだ。じゃあ、少なくとも2タイプあるのかな?もう1タイプが気になる人は考えてみてね」

でいいし。

少なくとも、接木した人は「わたしもなんとなくそう思ってたけど、なんでそう思ったんだろう?」と考えるきっかけをもらえたわけだし。

 

 

福祉施設での哲学カフェは、「コミュニケーション力の向上」も目的の1つだったりするのですが、この場合のコミュニケーション力の向上って、必ずしも自分の意見を主張できるとか話すのがうまくなるとかそういうことじゃない。

「コミュニケーションはこわくない」

「困ったら助けてもらえばいい」

そう感じられるようになるお手伝いができたらいいなと、改めて思いました。

 

(もちろん、がんがん考えたい人には、そのお手伝いも)