てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

ミニマルでコンセプチュアルな

先日、神戸を訪れた際、ついでに兵庫県立美術館でやってる特別展「ミニマル/コンセプチュアル展」を観てきました。

 

www.artm.pref.hyogo.jp

 

ミニマル・アートは、主に1960年代のアメリカで展開した美術の潮流です。作家の手仕事やその痕跡を廃し、工業用素材や既製品を用いて、単純で幾何学的な形やその反復から成る作品を制作しました。ミニマル・アートに続いて現れ、同時代に国際的な広がりを見せたコンセプチュアル・アートは、物質的な制作物以上に、その元となるコンセプトやアイデアを重視します。(兵庫県立美術館 ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術

 

観る前は、「ミニマル」と「コンセプチュアル」がどうしてセットになるのかと疑問でしたが、観ているうちに、「そうか、ミニマルを追求するとコンセプチュアルになったり、コンセプチュアルであろうとするとミニマルになったりするのね」と納得。

 

哲学でも概念化(コンセプチュアライズ)は大事な要素なので、そういう視点からも興味深く。

たとえば哲学ウォークでも、コンセプトを作ることが要求されたり、「質問は短く」なんて言われたりする。

これも、単にワークの作業としてそうなっているのではなく、なにかしらの本質や核のようなものを掬い取ろうとする行為の現れなのだと思う。

 

言葉だと言葉するという行為自体に概念化が含まれてくるけれど、アートだとどうなるのか。

 

立方体が並んでいたり、

数字が並んでいたり、

毎日起きた時間をはがきで送ったり、

作者(?)は指示を出すだけで制作は他の人がやったり、

 

作品を観ていると、「アート」や「作者」「作品」といった概念の淵に立たされるような気分でした。

 

 

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哲学ウォーク@王子公園

さて、4月末の哲学ウォーク第2弾は、神戸の王子公園にて。

学生の頃からお世話になっている、グリーングラス(以下、グリグラ)のみなさんと。

 

コロナ禍で何度も延期を繰り返し、コロナ禍以降初の再会でした。

なかには10年ぐらいぶりにお会いする方もいて、感動!

もともとは子育てサークルだったグリグラですが、いまやみなさん、子育ても一区切りつき、新たな人生を歩んでらっしゃるのだなぁ。

 

以前は鈴蘭台で活動してらっしゃいましたが、いまはお世話役の先生が王子公園駅から徒歩5分のところで、保育と子育てを語り合うサロンを開いてらっしゃるということで、グリーングラスのみなさんもそちらで活動されているそう。

ずいぶん長いことお世話になっているのでネタ切れになりそうだったのですが、地図を見て王子公園のすぐそばだと気づいた瞬間「哲学ウォークできるやん!」と、提案。

グリグラ初の哲学ウォーク実施となりました。

 

参加者6名と少人数だったので、わたしもナビゲートしながら参加します。

ひいたのは、愛生園の分かれ道で立ち止まらせてくれた、あの言葉。

 

「過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。」(ニーチェ

過去にゴミがたくさん捨てられて、未来のためにこの注意喚起がつけられたのかなぁと思って、ここにしました。

「未来はわからないのに、どうやって現在に影響を与えるの?」という質問を選んで、再び歩きます。

 

公園の脇にある、地域福祉センターの看板の前で‥‥‥

「あなたが何を信じようと、慎みを忘れてはならない。」(バートランド・ラッセル

 

神戸の気候でよくぞここまで大きく育ったなぁ、オリーブの木を前に‥‥‥

「許すとは、強さの証だ。」(ガンジー

 

今回は、足の弱い方もいらっしゃたので、交代で車椅子を押しながら歩いたのですが、それがまたいくつかの発見につながった気がします。

 

木の根に押し上げられてできた凸凹道を感じながら‥‥‥

「真実を愛せ。ただし、過ちは許せ。」(ヴォルテール

 

活動場所のサロンが見える交差点で‥‥‥

「運命とは、自ら選び創り出すものだ。」(セネカ

 

参加者が写ってないスポットはこれぐらいかな。

他には、こんな言葉がありました。

  • 「自由がなければ、誰も平和ではありえない。」(マルコムX
  • 「最もよい処世術は、妥協することなく適応することである。」(ジンメル

 

哲学者の言葉に共感する人もいれば、共感できないながらも「ここなら」となんとかしてスポットを選び出す人も。

一人一つずつ質問する場面で、最初は質問を捻り出すのに苦労していた人も、終わる頃にはすんなり質問が出てくるように。

 

最後にサロンで、それぞれの質問について考えたを共有していると、みなさん、哲学者の言葉とスポットと自分自身の人生を重ね合わせてあれこれ考えたことがうかがえました。

 

 

GWにもう一回、今度は岡山市内で哲学ウォークをする予定です。

哲学ウォーク三昧の春。

今度は、どんな言葉を忍ばせようかなぁ。

哲学ウォーク@長島愛生園

ふだんは年に1〜2回しかしない哲学ウォークを、4月下旬は2回もしてしまいました。

 

1回目は、小雨のなか長島愛生園で。

いつも医療者のための哲学カフェを一緒にしている岡山大学の小比賀(おびか)さんつながりで、アートや人文学をつかった医学教育に関心のある方々と。

 

哲学者や愛生園に縁のある人の言葉が書かれた言葉をクジでひいて、てくてく。

自分がひいた言葉にぴったりのスポットが見つかったら、ストップ!

そこを選んだ理由を説明して、他の参加者にもらった質問から考えたい質問を1つ選んで、また歩きだします。

 

それぞれの言葉と立ち止まったスポットを一部ご紹介しておきましょう。

 

分かれ道で‥‥‥

「過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える」(ニーチェ

 

収容桟橋で‥‥‥

「今よりもっといい時代があるかもしれないが、今この時を生きるしかないのである。」(サルトル

 

納骨堂で‥‥‥(こちらは哲学者ではなく愛生園で暮らした詩人の言葉です)

「生はいつもまっしぐらに進んでいる」(志樹逸馬)

 

この景色を前に‥‥‥

「それでも人生にイエスと言う」(フランクル

 

晴れていればより美しい景色が見れたかもしれないけれど、けっこう高低差のあるルートなので、これぐらいの天気が涼しくてよかったような気も‥‥‥。

 

最後に、さざなみハウスでケーキと飲み物をいただきながら、考えたことを共有しつつふりかえり。

生きることと、社会のあり方とに思いを馳せる時間となりました。

今回は、異なる言葉、異なる場所から「生き方」をコンセプトに選んだ方が二人いたのも、興味深かったなぁ。

教育に関心のある方々なので、ワークの仕組みについても、なかなか鋭いコメントをいただけました。

 

 

4月に神戸で行ったもう一つの哲学ウォークの様子は、また改めて。

一部、ここでご紹介したのと同じ言葉が、出てきますよ。

 

前回の愛生園での哲学ウォークの様子は、こちらからどうぞ。

matsukawaeri.hatenablog.com