てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「義務と権利は、セットですか?」@antenna Coffee House

2月14日(日)は、広島県尾道市のantenna Coffee Houseさんで、哲学カフェ尾道

 

こちらのお店で初めて、オンライン参加もありのハイブリッド哲学カフェを開催してみました。

カフェという空間やドリンクなど、物理的な要素の意味が大きい場所でオンライン参加をありにすることに対する迷いや意義などについても語りたいのですが、長くなっちゃうので、それはまたの機会に‥‥‥。

参加者は、会場参加が5名+オンライン参加が6名。

それにマスターと進行役(まつかわ)を加えて、13名での対話になりました。

 

テーマは「義務と権利は、セットですか?」。

 

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「親に養ってもらっている学生のうちは、親の言うとおりにする義務がある?」という疑問からはじまり、働く義務、義務教育、有給休暇の権利、選挙権、服を着る権利(?)、マスクをつける義務(?)などを例を出しながら考えるうちに、

 

「義務って本当にあるの?」

「義務と責任はどうちがう?」

「権利って本当にある?」

「権利ってなに?」

「義務や権利と自由の関係は?」

「もってるのに使われていない権利があるのはなぜ?」

「権利は平等?」

などなど。

 

義務と権利はセットなのかセットじゃないのかを考えるプロセスで、「義務ってなに?」「自由ってなに?」という問いに踏み込むことになるのは予想していましたが、それ以外にも「自由って?」「責任って?」「平等って?」といったメイン級の問いが飛び交う展開。

それぞれ単体でもメインディッシュ級の問いが盛り盛りのスペシャルデラックプレート大盛り!的な回でした。

たとえていうと、もともとダブルカツカレーぐらいガッツリ系のテーマだったところに、ハンバーグとエビフライと、牡蠣フライも追加しました!みたいな感じ。

これも、ハイブリッド効果?

 

そんなふうに、メイン級の問いたちを行きつ戻りつするなかで明らかになった、「義務と権利は、セットですか?」に対する答え、3パターンをご紹介しましょう。

 

1)セットじゃない

誰かに何かすることを押し付けたい人が、あたかも権利とセットになっている義務であるかのようにふるまっているだけ。

 

2)セットだ!

義務を負うことによって、得られる権利もある。

たとえば、会社で義務を果たして働くことによって得たお金で、あれこれ自由に買う権利が得られる。

ここから「働く」についても「自分でなにをやるか決めてる自営業者にとっても、働くことは義務なのか?」「働きたくても働けない人は?」「働くって義務?権利?」などなど、けっこう複雑な議論が展開されました。

 

3)セットだ!

誰かの権利を守るために、別の誰かに課される義務がある。

子どもが学ぶ権利を守るために、親に課された義務(義務教育)や、

国民の選挙権を守るために、国に課された義務など。

 

 

 

 

 

 

また、こうしたセットのあり方を探る過程で、個人的に印象に残っているポイントを一つあげるとしたら、「もっている権利を使わない人がいるのはなぜ?」をめぐる議論です。

「権利は、使ってもいいし使わなくてもいい。その自由があるから権利なんだ」という指摘。

「有給休暇は絶対とれ」「選挙には絶対行け」となったら、それはもはや権利(〜してよい)ではなく、義務(〜しなくてはならない)になってしまうので、なるほどなと思いました。

その一方で、「でもだからって、全員がずっとその権利を使わなければ、その権利自体がなくなってしまうのでは? 選挙に行くかどうかは自由だからといって、みんなが選挙にいかなかったら、選挙権は消滅してしまうのでは」という意見も。

これもたしかに、そう言われればそんな気がする。

権利を成り立たせる条件はなにか、思い巡らされました。

 

また、めっちゃ日常生活に関わるポイントとして「マスクをするのは義務?マナー?」という疑問も、この日はそんなに議論はできなかったけど、気になるなぁ。

いつか、できればコロナ禍が終わりきる前に、「マナーは義務か?」というテーマで、哲学カフェしてみたい。

 

親子や働くことと、義務と権利の関係についても、まだまだ気になる人もいるでしょう。

今回の対話をヒントに考えてみて、それでもまだ考えたいと思ったら、一緒に考えられるといいですね。

 

ご参加くださったみなさん、antenna Coffee Houseさん、ありがとうございました。

 

さて、次回の哲学カフェ尾道は‥‥‥

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お店に来れる方はお店でドリンク片手に、行けないけどオンラインならという方は画面越しに、お会いできるのを楽しみにしております♪

テーマと進行役

先日、とある施設からのご依頼で、哲学カフェを企画・進行するためのオンライン研修をさせていただきました。

全員すでに哲学カフェを体験したことのあるメンバーだったので、哲学カフェを作る3要素、場所、テーマ、進行について説明したあと、みんなでテーマづくりワークを体験。

 

その感想で、参加者のおひとりが、

「自分が進行するときは、当日参加者からテーマを募るのがよさそう。

自分でテーマをつくったときは、自分でたくさん話したくなってしまうから」

とおっしゃってて、なるほど、と思いました。

 

自分が関心あるテーマのときは、自分も参加したいし、話したいですもんね。

自分がつくったテーマのときは、進行は他の人にしてもらうのもおすすめです。

 

そういえば、わたしも、自分ひとりで「このテーマがやりたいからやる!」ってことは、少ないかも。

10回に1回もない。

年に1〜2回あるかないかぐらい。

「哲学カフェをやってほしい」という依頼を受けてやることが多いので、相手から「こういうテーマで」と希望されるか、こちらから提案するにしても相手の要望に合わせたテーマを提案することになる。

自主企画の哲学カフェでもテーマは参加者のアンケートからひろってくることが多いもんなぁ。

 

といっても、やりたくないテーマでやることは絶対ありません。

けど、自分から「やりたい!」というより、誰かの希望や要望ををきいて、「それ、おもしろそうですね!」「だったら、こういうのはどう?」とのっかる感じ。

 

だからこそ、進行を仕事にできてるのかもしれない。

わたしが、「日本一よく話す進行役」*1でいられるのも、そのせいかも。

 

進行役の関心から生まれたテーマで、進行役が自分の意見を遠慮なく言ってたら、進行役中心になりすぎちゃって対話になりにくそう。

わたしの場合、もともと誰かの関心にのっかってるだけで、自分発のメッセージも仮説も発しようがないから、なにか発言したところで、他の誰かの発言や関心に対するレスポンスにしかならない。

それが、「日本一よく話す進行役」でいられるポイントかもなぁ。

 

 

そんなことに気づかされた研修会でした。

*1:日本の哲学カフェを渡り歩いているYさん評